いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
どうしても今日書かないといけない気がしたので、普段はあまり触れない時事ネタから。
さまざまな議論を呼んでいる、あの10分間に寄せて。
私が小学生の頃は野球もサッカーも好きでしたので、よくナゴヤ球場にも行きましたし、瑞穂競技場にJリーグの前身の「日本リーグ」の試合を見に行ったりもしていました。
その後、中学・高校とサッカー部に入って、部活でサッカーを続けました。
折しもちょうど私が中学生になった頃にJリーグが始まりましたし、
ドーハの悲劇はリアルタイムで睡魔(それに加えて、ちょっとエロい深夜番組の誘惑)と戦いながら観ていましたし、
もちろんジョホールバルの歓喜に感動した世代です。
ただ社会人になってからは、なかなかスタジアムに足を運ぶことも少なくなり、ワールドカップやチャンピオンズリーグくらいの大きな大会くらいしか観ていない、言ってみれば「にわか」です。
そんな私ですが、やはり「あの10分間」には魂が揺さぶられましたので、それについて少し綴ってみたいと思うのです。
詳しい議論は専門家の方々に任せるとして、やはり私が感じたことを綴ってみたいと思うのです。
今は記憶に新しいのですが、これが半年もするとどんな状況だったのか軽く忘れてしまうと思われますので、時間が経ってからでも思い出せるように簡単に状況の説明だけ。
日本の入ったグループH。
日本の他にコロンビア、セネガル、ポーランドのあわせて4チームが、上位2チームのみが進むことができる決勝トーナメント進出を懸けて、総当たり戦に臨みました。
3戦目を迎えて日本は1勝1分の勝ち点4、同じ1勝1分のセネガルと並んで暫定1位。
コロンビアは1勝1敗の勝ち点3、ポーランドは2敗の勝ち点0。
この時点でポーランドはすでに決勝トーナメント進出の目はなく、日本、セネガル、コロンビアの3チームが最終戦に臨みます。
日本の相手は、そのポーランド。
セネガルはコロンビアと。
決勝トーナメント進出の条件は、日本とセネガルは「勝ち」か「引き分け」で無条件で進出、「負け」の場合は同時に行われるもう一試合の結果次第になります。
一方でコロンビアは「勝ち」のみが進出確定、「負け」は敗退、「引き分け」はもう一試合の結果次第。
そんな込み入った状況の中で、運命の第3戦がキックオフ。
日本ーポーランド、セネガルーコロンビアの2試合とも前半はスコアレスで折り返します。
まず試合が動いたのは日本ーポーランド。
後半14分、ポーランドがFKから先制点を挙げます。
この時点で、セネガルーポーランドは0-0でしたから、このまま終わると日本は敗退が決定してしまいます。
点を取りに行くしかない日本ベンチは、宇佐美選手に替えて前の2試合で好調だった乾選手を投入し、攻めに出ます。
しかし、攻めに出るも逆にポーランドのカウンターを食らって危ない場面を作られたりと、なかなか得点には結びつかずにじりじりした時間が続きます。
次の転機は後半29分、コロンビアーセネガルの試合。
コロンビアが遅い先制点を挙げたのです。
ここでまた状況が変わり、このままのスコアで両方の試合が終了すれば、決勝トーナメント進出は2勝で勝ち点6のコロンビアは1位確定。
2位は、日本はセネガルと勝ち点4、得失点差も全く同じで並びますが、警告や退場の回数による「フェアプレーポイント」という次の順位決定の基準でわずかにセネガルを上回っていたため、日本が2位になるという状況。
ただし「現状のまま」があくまで条件であり、セネガルが同点に追いついた瞬間に日本は敗退が決まります。
私は心臓の音が聞こえるくらいバクバクした状況でテレビとスマホを交互に見つめていましたが、日本の西野朗監督が次に打った手に、心を揺さぶられました。
後半37分に、FWの武藤選手に替えて、守備的なポジションの長谷部選手を投入。
その後の約10分間を、リスクを負わずに自陣後方でボールを回すことで時間を潰し、試合を終わらせました。
すでに敗退が決まっていて、このまま終了すれば1勝が取れるポーランドも無理にはボールを追わず、次第にスタジアムをブーイングと怒号が響き渡る中、おそらく過去にも類を見ない「負けているチームの時間稼ぎ」で試合終了のホイッスルを迎えます。
そこから永遠ともいえる2分ほど後、コロンビアーセネガルもそのままのスコアで終了。
コロンビアと日本の決勝トーナメント進出が決まりました。
日本の最後の10分間のプレーについては、海外のメディアはじめ多くの議論を呼び、その批判的なものが多いようでした。
いろんな視点からあの10分間は語ることができると思うのですが、あの究極ともいえる最後の10分間で、あの「負けたまま試合を終わらせる」判断をされた西野監督は、私は稀代の勝負師だと思います。
もし残りの時間帯でセネガルが同点に追いついていたら、日本の敗退という状況。
偵察などからの情報でセネガルが攻めあぐねているなどの情報は入っていたのかもしれませんが、その中で「攻めない」、「カードをもらわない」ようにという決断には、痺れました。
攻撃と守備が表裏一体のサッカーという競技において、攻めるということは逆に失点するリスクを負う、ということでもあります。
同時に手負いのポーランドと激しいコンタクトが予測されるため、警告をもらうリスクも出てきます。
ポーランドにもう1点でも取られても敗退、警告を食らっても敗退。
そうしたリスクと、セネガルが同点に追いつく可能性とを天秤にかけた結果、西野監督はあの決断をされたのだと思います。
それは、言い換えるのであれば自分たちの未来を、もう一方の試合会場の結果に「委ねた」と言えるのだと思います。
委ねる、あるいはサレンダー。
自分ではない他力に全てを委ねる。
思えば日本代表は、このワールドカップの2か月前にこれまで指揮してきたハリルホジッチ監督を更迭し、新たに西野監督を就任させるなど、決勝トーナメント進出に向けて足掻いてきました。
そうした中で日本代表が、最後の最後のギリギリの10分間の選択は「他力に委ねる」という決断だったということは、非常に興味深いのです。
少しオカルト?な視点で言えば、それは日本人がいま持っている集合的な無意識の現れだと見ることができます。
最後の最後は、自力じゃないよ。
やるだけやったら、他力に委ねるんだよ。
自力の極致ともいえる一流のアスリートが集うワールドカップで、そんな意識が垣間見えたことに、私は心が動かされたのです。
もしも残りの時間帯でセネガルが同点に追いついていたら・・・
そこから攻めに転じるも、日本が同点に追いつけなかったとしたら・・・
今の何百倍ものレベルで、西野監督の決断はボコボコに批判されていたように思いますし、悪い意味でサッカー史に名を残したような気がするのです。
あのまま後半最後までリスクを負って攻めて、逆に点を取られたりカードをもらったりして決勝トーナメント進出を逃したときよりも、はるかにひどい批判をされることは、容易に想像ができます。
西野監督はそれを百も承知の上で、あの決断をされたと思うと、残りの10分間、背筋のゾクゾクが止まりませんでした。
果たしてコロンビアーセネガルはそのままのスコアで試合が終了し、日本の決勝トーナメント進出が決まり、西野監督の判断は賛否両論のレベルに留まることになりました。
最も恐ろしいリスクの裏には、最大のギフトが隠れていたようです。
誰もが下せるわけではない重い重い決断だったと思いますし、私はあの究極の状況の中でその「委ねる」選択をした西野監督を称賛したいと思います。
いろいろなメディアの論調を見る中で、「西野監督は自分の選んだ選手よりもコロンビアの選手を信頼した」という批判的な意見がありましたが、私は少なくともそうではないように思います。
勝手な私の想像なのですが、西野監督は選手のことを信頼し、そしてもう一方のスタジアムに偵察に行っていたメンバーたちのことも同じように信頼し、そして何より自分の選択がもたらすプロセスを信頼していたのではないでしょうか。
それは「選手を信頼する/しない」という単純な二元論の話ではなく、もっと大きな次元で西野監督はいろんなものを「信頼」をしていたように思うのですが、いかがでしょうか。
それだけに、ワールドカップの決勝トーナメントという夢舞台で西野監督がどんな采配を振るうのか、刮目してみたいと思います。
「赤い悪魔」は強烈ですが、ぜひサッカーの醍醐味である「番狂わせ」「ジャイアント・キリング」、「グレイトフル・アップセット」を期待したいと思います。
今日もお越しくださいまして、ありがとうございました
今週は寝不足な一週間になりそうですね。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。