大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

ただ手を合わせる、祈る 〜東京都港区・「泉岳寺」赤穂義士墓地に寄せて

東京都は港区の友人宅で、その日の夜明けとともに目が覚めた。


前日の酒が少し残っているが、頭はすっきりしていた。

 

早起きはいいが、その日の予定よりも早すぎる。

さて、何をしよう。

 

せっかく上京しているのだし、この近くを観光でもしてみようと思い、スマートフォンを取り出し地図アプリを開く。


すると、すぐ近くに「泉岳寺」の名が目に入る。

 

駅の名前くらいでしか認識がなかったが、調べてみると曹洞宗の寺院として、江戸三箇寺の一つとして有名。
さらにはかの有名な「忠臣蔵」の赤穂義士が埋葬されているとのことだった。

 

行き先は決まった。
そうとなれば、後は早い。

 

出来あがった後の居酒屋のお銚子のようにごろごろと転がっているペットボトルを踏み分けて、顔を洗う。

髪を整え、着替えて荷造りをして10分。

 

こういうときに男性は便利だな、とつくづく思う。

 

まだベッドの中で寝ぼけ眼の友人に一宿の礼を告げ、アパートを後にする。

 

この日は梅雨入りしたばかりらしく、ぐずついた天気だった。

 

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地図アプリを頼りに歩き始めてほどなくして、目的地と真逆に歩いていたのに気づいて苦笑する。


やはり地図は苦手だ。

 

気を取り直して来た道を戻る。

住宅街を10分ほど歩いたところで、泉岳寺の中門にたどり着いた。

 

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朝早いこともあり、人の姿はちらほらと見える程度だった。

 

門をくぐると、綺麗な紫陽花が出迎えてくれた。

 

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その横には、忠臣蔵の主役・大石内蔵助吉雄の銅像がそびえ立っていた。

 

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少しの間合掌してから、山門の脇を通って境内に入る。

 

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境内にも人影はそれほど見られず、静寂がその空間を包んでいる。

 

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本堂の前に、線香を手向けるところがあったので、その場で買って捧げてみる。

 

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境内を一回りしてみる。

 

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座禅を以て生涯を貫いたと伝えられる、澤木興道老師像。

本堂の脇にて座禅を組んでおられた。

 

境内を一回りしたところで、いよいよ赤穂義士の墓地へ。

 

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門をくぐると、明らかに流れる空気が変わった。

 

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ひんやりとするような、背筋に冷たい水が垂れたような、「ぞく」っとする感覚を覚える。

 

入り口でまた線香を買う。

 

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線香の手向け方が分からず、入り口の男性に尋ねると「1、2本ずつお墓に供えてください」と教えて頂いた。

 

義士墓に入り、48の墓碑の一つ一つに線香を手向ける。


悲しい場所だった。

 

入り口からの身震いする感覚は止まず、写真を撮るのがためらわれた。


半分に割った竹筒に入れた線香がなくなったとき、ちょうどすべての墓碑に線香と祈りを捧げていた。

 

そんなに暑くはないのだが、汗が噴き出てきた。

 

一礼して、墓地を後にする。

 

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埋葬されている志士たちは、義に生きた47人として「忠臣蔵」に語り継がれている。

 

私が小さいころ、毎年父方の実家で年末を迎えていた時期があった。


その実家で、祖父が安楽椅子に座って「忠臣蔵」の時代劇を観ていたのを思い出す。

 

そんな祖父を思い出しながら、義に生きた彼らの生き様を美談にすることに、私は微かな嫌悪感を覚えた。


47人の義士たちには、彼らなりの「義」があった。
そして自らの生を賭けて、その「義」に殉じた。

 

しかし、彼らの「義」と同じように、敵役となった吉良上野介にもまた「義」はあったはずだ。

 

どれだけ歴史的に精緻な考証が進もうとも、その場にいなかった私たちがその事件を評価し価値判断をすることは、危険なのだと思う。


それは週刊誌やマスメディアの情報だけで、見知らぬ誰かの不倫や、見知らぬ運動部の揉め事を裁いたりする愚かしさに似ているのかもしれない。

 

だから私は嫌悪感を覚えるのだろうか。

 

47人の義士が善で、吉良上野介が悪。

 

正誤善悪、あるいは加害者・被害者の二元論に留まる限り、この墓地を覆う「悲しさ」の連鎖からは抜け出せない。

 

被害者は被害者でいる限り、いつか必ず加害者になる。
あの人は私を傷つけた、という刃を振り回すからだ。

 

そしてその被害者も、また加害者となる。

 

悲しみや憎しみは、正誤善悪、加害者・被害者の二元論に留まる限り、輪廻のように連鎖する。

 

悲しみの連鎖を止めるには、その輪廻を抜け出すしかない。

 

そのためには正誤善悪の価値判断を手放して、起こった出来事を「ただそこに在ったこと」として見ることが大切なのではないか。

 

そう考えると、私たちができるのは、手を合わせて祈ることだけなのかもしれない。


それぞれの墓碑には、一人一人の享年が彫られていた。

 

47人の義士、一人一人を産んだ親がいて、中には子どもや孫がいた義士もいただろう。


それは同じように、浅野内匠頭にも、吉良上野介にも。

 

いったい、この墓碑の周りでどれだけの人が悲しんだのだろう。

 

私は、ただそれが悲しかった。


その悲しさを抱いて、ただ手を合わせて祈った。

 

そんなことを考えながら墓地を後にしようとすると、ぽつぽつと雨が降ってきた。

 

浄化の雨のような気がして、私は振り向いて墓地の方にもう一度だけ、手を合わせて祈った。

 

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