大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

もしも、どちらを選んでも正解だとしたら 〜だって今までどちらを選んでも大丈夫だったのだから

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

人は誰しも「自由」でありたいと願います。


けれども、「自由」につきものの「選択」はときに「怖れ」を呼びます。

 

自分にとって大事な選択だと思えば思うほど、その「選択」を間違えてはいけないというプレッシャーや怖れが大きくなります。

 

そんなときには、「どちらを選んでも正解だとしたら」と考えてみることが、ココロを軽くしてくれるかもしれません。

 

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以前に、私は小売業の現場で仕事をさせて頂いていたことがあります。

 

そこで顧客から苦情を頂くことが、ままありました。


いわゆるクレーム処理というやつですね。

 

いろんな種類の苦情をお伺いする中で、自分の中でクレーム処理の一つの「ひな形」のようなものがありました。

 

まずは顧客からの主訴をお伺いし、共感する。


ここで顧客から求められない限り、絶対に自分から意見や価値判断を話さない。

(もちろん、相槌や共感する言葉は話します)

 

するとどんなに感情的になっておられる方でも、20分も話を聞いていれば落ち着いてきます。

 

そうしていると、100のうち98くらい喋っていたのが、80になり、60になり、30になり、やがて会話の中で沈黙が入るようになります。

 

その沈黙が出てきたら、主訴に対しての対応方法をご提案する、という流れをよくやっていました。

 

ここでのポイントは、対応方法を一つではなく「二つ」提案して、顧客に「選んで」もらうというところです。


その二つは、別に似たような提案でも構いません。
ただ、「日取り」であったり「数」であったり「人(私か上司かなど)」であったり、どこかに「選択」ができるポイントを含んだ提案をすること。

 

提案が一つだと、どうしても押しつけになりがちです。

 

これが二つだと「選択肢の中から自分で選んだ」という想いが残るわけで、その後の展開がスムーズにいったように覚えています。

 

いま振り返ってみると、苦情を訴える顧客は心理的に見ると「あなたが悪いんだから何とかしなさいよ」という「依存」の状態にいるわけです。

 

それを、対応方法の決定権を持っている(すなわち「自立」の側である)販売者が、「共感」をすることで自立-依存という関係を崩し、フラットなものにしていく。

 

そして、最後に対応方法を「選択肢」の中から「選ぶ」ということで、「自立」を促す。

 

そんな心理的なプロセスがあるように思います。

 

まあ、今はこうして語っていますが、苦情処理に失敗して上司に出てもらったりしたことや、明らかに悪意のある苦情に長い期間付き合わされたりといったことも、時にはありました。


今となっては、旧き良き思い出です。

 

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さて、いつにもまして前置きが長くなりました。

 

「選択」を迫られると、人はプレッシャーを感じます。


誰しもがそうありたいと望む「自由」とは、「自ら選ぶことができること」と言い換えられるにもかかわらず、人のココロというのは不思議なものです。

 

先ほどの苦情のお話の中でも、こちらから提案すると、「うーん、どうしようか・・・」と悩まれる顧客も多かったです。


やはり、「選ぶ」というのは「自立」して「自由」であるために必要なものにもかかわらず、その場面が来るとプレッシャーや怖れから悩んでしまうわけです。

 

なぜ、そうしたプレッシャーや怖れを感じるのか。

 

一つには、「選択肢」の中に「正解」と「不正解」がある、という思い込みが私たちの中にはあるように思います。

 

これは教育につながる話でもあるのですが、日本で行われるテストや試験では「選択式」のものが多いようです。

回答の選択肢がいくつかあって、その中の一つだけが「正解」で、あとは「不正解」というヤツですね。

 

毎年1月の風物詩のセンター試験や、資格試験の多くがそうですね。

 

私たちはそうしたテストを繰り返していくうちに、「どれかが正解で、他は不正解」という思考や思い込みを身につけてしまって、それを生きる中の他の場面でも応用してしまっているのかもしれません。

 

数式や文法、文中の「これ」が指すもの、歴史や生物学の問題への「正解」は一つかもしれませんが、人生に起きる選択肢の「正解」はそうではありません。


選択肢の全てが「不正解」かもしれませんし、その逆に全て「不正解」かもしれません。

 

今の彼女と別れるかどうか、
この仕事を引き受けるかどうか、
あと一杯だけおかわりするかどうか、

 

といった生きる上での大切な選択肢においては、「正解」も「不正解」もないわけです。

 

こう考えてみると、「じゃあ、選択肢全てが正解だとしたら、自分は何を選ぶのだろうか」と仮定してみると、「怖れ」や「プレッシャー」からではなくて「喜び」から「選ぶ」ことに近づけるのではないでしょうか。

 

そうは言っても、それを選んで「失敗」したらどうしよう・・・とか思いますよね。

 

どちらを選んでも、あなたなら大丈夫です。

 

だって、今までだっていろんな「選択」をしてきたことと思います。


その「選択」の積み重ねが、今のそのステキなあなたを形づくっています。

 

もしも「選択」に「失敗」があるのなら、今のあなたが魅力にあふれていることに説明がつきません。


あなたの選んだことに、「失敗」などありはしないのです。

 

今までも、ずっとそうだったように。
それは、きっとこれからも、ずっと。

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

 

不意に訪れた大きな「選択」に惑い悩む、私の大切な友人に寄せて綴らせて頂きました。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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