大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

This is me, and You are me. ~映画「グレイテスト・ショーマン」に寄せて

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日は久しぶりに映画の感想について。

グレイテスト・ショーマン」についてです。

 

ある程度ネタバレを含みますので、まだご覧になっていない方はその点ご留意ください。

 

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優れた芸術作品ほど、それを観る者に多くの解釈を許してくれる。

映画のワンシーンには、それに関わった多くのクリエイターの意志が入っており、衣装から台詞から、音楽、光源の向き、構図、俳優の演技から間に至るまで、多くのメッセージが込められている。

 

たとえば日本の映画「東京物語」(だったと記憶している)は1カット(一つの場面)の秒数を揃えることで、心地よい間を演出しているらしい。

(だったと記憶している)というのは、このネタは映画好きの友人から聞いた話であり、いつも酔っ払うと同じ話をしてくれるのだが、私も大概泥酔しているので記憶があいまいなためだ。

 

それはともかく、優れた映画は観る者に様々な解釈を許してくれる。

 

さて、それを前提として「グレイテスト・ショーマン」だ。

の映画もまた、観る者によってさまざまなテーマやメッセージを受け取れるだろう。

 

実在した主人公・P.T.バーナムの伝記として。

ミュージカル映画の素晴らしさ。

他人の人生を生きることの愚かさ。

パートナーシップの成熟の物語。

マイノリティへの応援歌。

親子の葛藤。

家族の役割の変容。

自分の道を歩き始めると必ず出る、常識や世間体という罠。

コンプレックスはさらけ出すほどに癒されるということ。

どんなにネガティブに見えようとも「自分」を生きることの素晴らしさ。

本心でない願望を叶えることの恐ろしさ。

そして、This is me.という人間賛歌。

 

おそらく何回見ても、そのときの自分の状態で受け取れるものが違ってくるのだろう。

それにしても、ぱっと思いついただけでもこれだけのメッセージが思い浮かぶのは、やはりそれだけこの映画にたくさんの想いが乗っている、ということなのだろう。

 

その中でも、いまの私が最も強く受け取ったのは「世界はすべて私自身」というテーマだ。

 

物語の前半、主人公のバーナムはショーのために「ユニークな人」を探す。

小人症や、その逆の大男。全身刺青の男。髪が真っ白な女、歌が圧倒的に上手いが、髭の濃い女など・・・

 

彼ら・彼女らはその特徴的なコンプレックスにより世間から隠れるようにしてきたが、バーナムは彼らを「才能」として見ることで外に引きずり出す。

おそらく、なのだがバーナムは彼自身の中にある影の部分をも「才能」として見ることができたのだろう。

 

影と思われていた部分を晒し出すと、光と思っていた部分と統合される。

バーナムが表に引きずり出した彼らの影だと思われていた部分は、「This is me.」という人間賛歌、そして「グレイテスト・ショー」として変容していく。

 

しかし性急にとめどなく社会的な成功と評価を求めるバーナムは、彼らの存在を軽視するようになる。

 

何よりも素晴らしいのは、ここで彼らもバーナムから自立していき、「グレイテスト・ショー」を続けていくところだ。

 

そして火事とスキャンダルによって、博物館も、家族も、金銭も、自分の境遇を深く理解してくれたと思っていた女性も、全てを失ったバーナムに、「あんたのサーカスは家族・居場所(family)を与えてくれた」と寄り添う。

面白いのは、ここでバーナムもまた「金銭や名誉や社会的地位を追い求めてきたが、それは他人の人生だった。ほんとうに自分が欲していたのは、家族(family)だった」という気づくことだ。

 

結局「This is me.」として自分を生き始めると、周りに大きなギフトを与えて世界とつながっていく。

そのサイクルが重なっていくと、実は「You are me.」でもあることが色濃くなっていく。

 

わたしはわたし。

あなたはあなた。

そして、

あなたはわたし。

 

この世界の目に映るものは、すべて私。

バーナムにとっては、ショーに出演する仲間も、妻も娘たちも、ビジネスパートナーも、義父母も、白い歌姫も、すべて寸分たがわぬ形をした自分自身の一部なのだ。

そしてメタ的ではあるのだが、この映画を見ている「私」にとっては、すべての登場人物が「私」なのだ。

 

グレイテスト・ショーマンを見ていると、そんなことを感じさせられる。

 

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さて、そんなテーマを受け取ったのではあるが、実はこの映画の中で最も心を揺さぶられたのは、白いオペラの歌姫の独唱の部分だった。 

 

これね。

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夜空から星まで盗んでみたものの、満たされない。

いったいどうやったら、この空虚感を満たすことができるのか。

どこまでも切ない、彼女の孤独と寂しさを歌い上げる姿に魂が震えた。

 

すでにこの映画を観ていて、やはりこのシーンが一番よかったという方とお話ししていたのだが、その方はラストシーンがハッピーエンドに見えるけれども、この歌姫だけが消息?不明で彼女の幸せが気になると仰っていた。

 

私はラストシーンは循環していく豊かさの過程であって、その地点での幸せが全てではないように思う。

 

ラストシーンの後にも、登場人物の日々は続いていく。

その後の彼らの人生において、トラブルや問題や葛藤などは起こるかもしれない。

 

幸せとは状態(映画の中にも出てきたように、豪邸がある、毎晩パーティーの招待状が届く、地位と名誉がある・・・などなど)ではなく本人が感じるものであるから、たとえそうなったとしても幸せを感じることはできる。

 

私は、どれだけ満たされない想いを持っていたとしても、彼女が幸せであったと信じることはできるように思う。

あれだけ多くの人の魂を揺さぶる歌声で歌っている彼女の魂もまた、間違いなく大いなる喜びの感情にふるえていたに違いないと思うからだ。

 

白い歌姫が幸せだったのか、その後幸せに過ごしたのかどうかは、観る者一人一人が決めればいいのだとも思う。

それは、観ている者が自らの人生を幸せだと肯定するかどうかは、本人にしか決められないように。

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

こちらは降り続いた雨もあがったようです。

そちらはいかがでしょうか。

 

どうぞ、ごゆっくしお過ごしください。

 

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