【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

「怒り」は感情ではないけれど、大切なもの

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

昨日のお話は、コミュニケーションを円滑にするためには、
「まず自分で自分の存在を肯定しましょう」
「そして日常の細部を見つめて、自分の感じていることに耳を傾けましょう」
「そしたら、ほんの少し勇気を出して、自分の感じている感情を伝えてみましょう」

というお話でした。

 

この中の「自分の感じている感情を伝えましょう」のところで、「怒り」は感情ではないので、それを相手に伝えるのは得策ではないと書きました。

 

今日はそれについてもう少し詳しくと、「怒り」の奥底にある感情について、そして「怒り」の持つパワーについて考えてみます。

 

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「怒り」と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか。
私はすごく苦手なんです。怒るのも、怒られるのも。

 

以前に私があるお客さまにこっぴどく怒られて、恐怖体験をした怪談をこちらで綴らせて頂きました。

 


ひょっとしたら、「怒り」が苦手なのはあれ以来かもしれないですが、それでも人間なので当然「怒る」ことはありますよね。

 

この「怒り」というのは人の心の動きの中では特殊で、心の世界では「怒りは二次感情」と言われます。
つまり、「怒り」の底にある別の感情を感じたくないときや、あるいはその別の感情を隠したいときに、人は「怒り」を覚えます。

 

ちょっと抽象的ですので、具体的な例で考えてみましょう。
人が怒るシチュエーションって、どんなものが想像できますでしょうか。

 

 待ち合わせにLINEの一つもよこさずに、平然と恋人が30分も遅れてきたとき。

 

 重要な会議の席で、後輩に自分のつくった資料の間違いを指摘されたとき。

 

 電車のホームで並んでいたところ、電車の扉が開いた途端に輩が割り込んできたとき。

 

これらのシチュエーションで怒るかどうかはひとそれぞれだと思うのですが、人によってはイライラしたり、ムカッとしたりするシチュエーションですね。

 

さて、もしこれらのシチュエーションで「怒り」を覚えるとしたら、その奥底にある「感じたくない感情」は何なんでしょう。


もしかしたら、その「怒り」の裏には、

 

 来てくれないかと不安になった、自分が大切にされていないんじゃないかと悲しかった

 

 大事な席の衆目の前で、自分のミスをしてきされて恥ずかしかった

 

 自分はちゃんとルールを守っているのに、自分勝手に生きられる人が羨ましい

 

という、自分ではあまり感じたくない「感情」があるのかもしれません。


それを感じるのがイヤだったり、怖かったりするので、防衛機能として「怒り」を使うのですね。

 

しかし、その防衛機能の「怒り」をそのまま相手にぶつけるのは、あまり得策ではありません。
物理法則に作用・反作用の法則があるとおり、相手からまた同じようなエネルギーが返ってきて堂々巡りになるからです。

 

なので「怒り」を覚えたときはいったん立ち止まって、本当の自分の感情はなんだろう、と感じてみてから、それを伝えるようにすると、コミュニケーションが円滑に回りだします。

 

 「大切にされていない感じがして悲しかったから、遅れるなら連絡してほしい」とか、

 

 「たくさんの人の前で指摘されるのが恥ずかしかったから、こっそり教えてほしかったな」とか、

 

 「ああ、ああいう自由人に腹が立つってことは、私ももっと自由に生きたいんだな」とか。

 

感じた「怒り」をそのままぶつけるよりも、その「怒り」を契機としてもっといいコミュニケーションが取れる気がしませんでしょうか。

 

ここでいう「感情」とは「~~い」という語尾を取る気持ちが、それに近いと思います。


「悲しい」「嬉しい」「楽しい」「愛しい」「心地よい」「悔しい」「怖い」「羨ましい」・・・


「怒り」には「~い」がつきませんので、私の言う「感情」ではないわけです。


さて、心の世界で「怒り」について言われることのもう一つに、「怒りは感情の蓋」という言葉があります。

私たちの心の中では、「怒り」を引き金として諸々のいろんな感情が感じられるようになっている、というわけです。


これは言い換えると、「怒り」をイヤなものだと抑え込んでしまったり、それを感じることを禁じてしまうと、その他の大切な感情も感じられない無気力な状態になってしまったり、無気力になってしまう可能性がある、ということです。

 

「怒り」とは、すなわち行動力であり、エネルギーであり、推進力であり、そして生命としてのエネルギーでもあります。


穏やか過ぎる人にあまり性的な魅力を感じないことがあるように、「怒り」を解放できたり、「怒る」ことに許可が出せている人は、男性女性問わずにセクシャリティに溢れてきます。

 

単純に「怒り」をいけないものとして遠ざけるのではなく、怒ってもいいんだ、と許可をだしてあげる。

そして「怒り」を感じたら、安全な場所でそれを吐き出すことができるといいですね。

 

カラオケで歌いまくって発散する、ノートに怒りの呪文を書き殴る、身体を動かす、美味しいものを食べる、飲む、気のすむまで話す、バッティングセンターでブンブン丸になる、絵を描く、クッションや布団をサンドバッグがわりにひたすら殴る、捕まらない程度に高速を飛ばす・・・

 

いろいろ「怒り」を吐き出す方法はありますが、自分に合った方法で吐き出せるといいですね。


ちなみに私は「書き殴る」「歌う」「走る」のいずれかですね。

 

一見、イヤなものに見える「怒り」ですが、大切なものが隠されている大事な反応です。


うまく「怒り」と付き合っていけると、また一段と豊かな人生になるのではないでしょうか。

 

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今日もお越し頂き、ありがとうございました。


もう東京では桜が開花しそうですし、名古屋でも少しずつ咲き始めています。

つぼみが花開くのをいまかいまかと楽しみにしているこの時間が、一番楽しい花見の時間なのかもしれませんね。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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