【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

予定を詰め過ぎることの弊害を、「自立」と「依存」という話と絡めてみる

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそ。

最近くしゃみがよく出ますが、花粉症ではないと自分に言い聞かせている店主のおおさきです。

 

今日は「自立をこじらせるとあるある」なお話で、予定を詰め込みすぎると、それ以上のことは起きないというお話しを綴りたいと思います。

 

スケジュールも車のハンドルも「あそび」が大切だという、至極当たり前の結論ではありますが。

 

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誰かの手を借りないと何もできない状態のことを「依存」と呼びます。

反対に、何でも自分の力で成し遂げようとすることを「自立」と呼びます。

 

「あなたがいないと私はダメなの」が「依存」、

「私はあなたがいなくても大丈夫なの」が「自立」ですね。

 

感情を感じ尽くす立場が「依存」で、

感情を感じにくいが「自立」の立場と言うこともできます。

 

これの変形バージョンで、

「私がいないとあなたはダメになるの」という「共依存」と呼ばれるお互いが癒着してしまった状態もありますが、ちょっと今日は脇によけておきます。

 

さて人は成長していく中で、肉体的にも精神的にも「依存」から「自立」へと移行していきます。

 

生まれたばかりで、周りの手を借りないと何もできない「依存」の状態から、ハイハイできるようになり、歩けるようになり、いろんな道具が使えるようになったり、一人でトイレに行けるようになったり、肉体的に「自立」していきます。

 

精神的にも同じで、幼いころは「おかあさんがぼくのせかいのすべて」だったのが、思春期になると距離を置き始め、ときには中指を立てて反抗しながら「自立」へと向かっていきます。

 

そんな「依存」から「自立」への成長プロセスですが、精神的な「自立」は行き過ぎるといろんな弊害が出てきます。

 

私の場合は、肉親を突然失ったショックから自分一人で生きていかないといけないと、何でも一人でやろうとしてきました。

 

できないことはできるまでやる。

人に聞く前に自分で調べる。

周りに任せるくらいなら自分で全てやる。

助けを求めるなんて言語道断、打ち首獄門。

 

「自立」をこじらせた私は、いつの間にかそんな無茶な校則を自分に課していました。男塾もびっくりの厳しさです。

いや、友情があるだけ男塾の方が全然マシですね・・・

 

でもそれがあったおかげで、仕事のやり方を早く覚えられたり、周りから頑張り屋さんの評価を頂いたり、「自立」をすることの恩恵もたくさんありました。

 

けれど、どこかで限界がきます。

頑張れなくなって、日々喜びも感動もなく、ただロボットのように感情を切り、淡々とタスクをこなしていく・・・そんな状態に陥ることもあります。

 

「自立」が振れすぎると、全てのものごとを自分の力で進めないといけないと思ってしまいますから、スケジュール帳が黒くなります。

To Doリストは毎日大量のチェック項目だらけになります。

 

私の何年か前の手帳を見返してみてもその傾向が強かったのですが、「やることリスト」に追われ、それをこなしていくだけの毎日になってしまいます。

 

仕事でもプライベートでも予定を詰め込んで詰め込んでしまう。

遊びにでかけるにしても、細かくスケジュールを決めないと不安だったりします。

結局、「自立」に振れすぎているときは、自分がコントロールできない事象が怖いんです。

 

そして全てを自分でコントロールしようとしている間は、そのコントロールしようとしている範囲のことを超えることはありません。

それは、自分一人ができる仕事量に限りがあるのと同じなようです。

 

 

こうして「自立」をこじらせると、いろんな弊害がでてきますが、人の精神的な成長には、「自立」の後にもう一つ次のステージがあるのですね。

 

それは親が世界のすべてだった「依存」の世界から、思春期で中指立てて親から離れて「自立」していった後、成人した後のイメージが近いのかもしれません。

成人して自分が幼かった頃の親の年齢に近づいていったり、あるいは働き出したり、家庭を持ったりして、親と同じような立場になってみて、初めて親の心境であったり苦悩であったり葛藤が分かってきたりします。

 

あのときは親父も大変だったんだろうな、とか、

たまには温泉旅行にでも誘ってみるか、とか。

 

まあ親との関係は誰しも人生の中の一大テーマですので、そうなかなかうまくはいかないかもしれませんが、それができると「自立」して一度離れた親にもう一度近づくことができます。

 

それは以前の「依存」の立場に戻ることではありません。

「私」という自己を確立したうえで、手を差し出すことができるのです。

 

そうした「自立」を手放した状態を「相互依存」と呼ぶこともあります。

 

言ってみれば、「私にできることは私でする。できないことは、助けを求める」というフラットで楽な状態ですね。

私のできることはやって、できないことは周り助けてもらう、という状態です。

 

「自立」に振れすぎると、スケジュールが「やらなければいけないリスト」で埋め尽くされて、それ以上の結果は生まれません。

むしろ、気力体力が限界を迎え、それ以下の結果になることもあります。

 

そう考えると、スケジュールは「自分のできること、やりたいこと」である程度のところまで埋めて、余白を持っている方が、思ってもみなかったパフォーマンスを上げることがあるように思えるのです。

 

どこまでを持って余白とするか、人それぞれで難しいと思うのですが、まあどれくらいの余白がいいのかな、と美味しいワインでも呑みながら考えられるくらいがいいのかもしれません。

 

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今日もお越し頂きありがとうございました。

朝晩と日中の寒暖差が大きいので、体調にはどうぞお気を付くださいね。

 

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