【言の葉割烹おおさき】で会いましょう

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究極のコミュニケーションとは ~キングコング西野さんの「レターポット」に寄せて

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

少し二日酔いの店主・おおさきです。


昨日に引き続き、「言葉」について考えてみようと思います。
今日は「レターポット」に絡めて少し綴ってみます。

 

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いつも当店の記事の最後に記載しております店主の各種アカウントのご紹介の中に、FacebookInstagramに並んで「レターポット」のアカウントもご紹介させて頂いております。


この「レターポット」、キングコング西野さんが始められたサービスで、以前に当店でもこの「レターポット」についての記事を書いてみました。こちらですね。

 

インターネット上で「レター」と呼ばれる文字を贈り合うことのできるサービスです。
「レター」はクレジットカードで購入することもできますし、また人から送ってもらった「レター」はそのまま別の人に贈ることができるため、いわば「通貨」のような側面があります。


このあたりは上のリンクで少し考察してみましたので、もしよろしければご覧ください。

 

それで今日お話ししたいのは「レターポット」の通貨としての側面ではなくて、その「有限さ」という側面です。

 

EメールやSMS、LINEなどといったコミュニケーションツールと「レターポット」が異なる面の一つに、「贈ることのできる文字が有限である」ということがあります。


各個人のアカウントには「保有レター」があり、それを越えての「レター」(=文字数)を贈ることはできないからです。


もちろん「クレジットカード」で購入することで贈りたいだけ贈れるのかもしれませんが、現実的な「お金」を無制限に保有している人はいない以上、原理的には「レターポット」で贈ることのできる「レター」は有限です。

 

私たちは目覚めてから眠りにつくまで、多くの言葉を目にし、耳にし、そしてたくさんの言葉を口にしたり書いたりします。


いまこうして私が綴って、お客さまが目にされている言葉も、まさにそうですね。

 

そんな中で「言葉が有限な世界」と言われても、なかなか想像することが難しいかもしれません。

 

けれど、もしも今日一日で100文字しか使えなかったとしたら。
お客さまは、誰に、どんな言葉を伝えたいと思われるでしょうか。

 

「レターポット」が示すのは、そんな壮大な社会実験なのかもしれません。

 

人と人とのコミュニケーションにおいて、「究極のコミュニケーション」は4つあると言われます。

 

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「助けてください」
「愛しています」

 

今日一日で100文字しか使えなかったとしたら、多くの人が伝える言葉はその4つのいずれかに集約していくのではないでしょうか。


たとえいまどんなに誰かへの恨みつらみ、憎しみで苦しんでいたとしても、です。

 

そして、それは最終的に一つに絞るとするなら、やはり
「ありがとう」
になるのでしょう。

 

こう書いておきながら、私もまだまだ「レターポット」のライトユーザーなのですが、それでも今まで贈った「レター」を見返すと、ほとんどが「ありがとう」になっているのです。

 

ぜひ、お客さまもその制限された「レターポット」の世界を試して頂ければ、それが実感できておもしろいかと思います。


さて。
ここまで「レターポット」について綴ってきましたが、はたして「有限」なのは「レターポット」の中だけの話でしょうか。

 

もちろん現実の世界では一日に使える言葉が100文字になってしまう、そんなことはありません。


しかし、それを少し時間軸をずらして考えてみると、異なった景色が見えます。

 

誰しもが、今生を永遠に生きることはできません。


死後の世界や輪廻転生があるかどうかといったことについては、ここではちょっと置いておきますが、誰しもが100年やそこらで肉体的な死を迎えます。

人間は慣れの動物とは言いますが、繰り返す日々や生きることに慣れてしまうと、その絶対的な真実をどこか薄めてしまいます。

 

人生は有限です。


だとするなら、生きている間に使える言葉もまた有限と言えるのではないでしょうか。
そうすると、先ほどの「レターポット」の世界での問いかけに帰ってくるのです。

 

「人生が有限だとしたら、お客さまは、誰に、どんな言葉を贈りたいでしょうか」

 

自分を理解してくれなかった人への恨みでしょうか。
ひどいことをされて傷つけられたと思っている人への憎しみでしょうか。
自分を大切にしてくれなかった社会への憎悪でしょうか。

それとも・・・

 

あまりに当たり前すぎて忘れてしまいがちですが、その大切な選択を、実は私たちは毎日しています。

 

キングコング西野さんの「レターポット」は、私たちの有限な時間における選択というものを思い出させてくれる比喩のようなサービスに、私には思えるのです。

 

「レターポット」の世界で「クレジットカード」でわざわざ買った「レター」を使って、罵詈雑言を贈る人がいたらどうでしょう。


そんなアホなことをする人はいないよー!と思われるかもしれませんが、「現実は小説よりも奇なり」と申します通り、現実にそんなことをしてしまうのが、私たちです。


「レターポット」の世界を見ていると、そんなことを考えさせられて、言葉の選択に背筋が伸びるようです。

 

今日何かを誰かに伝えられるとしたら、それは有限な時間の流れの中で僥倖な機会があってこそです。


時に「レターポット」でそんなことを思い出しながら、本当に伝えたい言葉は何か、自分に問いかけていきたいと思うのです。

 

それは、やはり先に申し上げた「愛しています」「ごめんなさい」「助けてください」、そして「ありがとう」の究極のコミュニケーションになるのではないでしょうか。

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
お、やはり最後に出てくるのは「ありがとう」でしたね。
やはり究極のコミュニケーションは「ありがとう」のようです。

 

今日はホワイトデーのようですね。

男性でも女性でも、今日はそんな究極のコミュニケーションを伝えられる日になるといいですね。

 

ちなみに店主の私は、男性からでも女性からでも、感想なりをレターで頂けたら、とても嬉しいです。

 

 

どうぞ、今日もごゆっくりお過ごしください。