大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

自分は幸せになってはいけない気がする ~親子関係は罪悪感のノーザンファーム

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日は「罪悪感」という感情について綴りたいと思います。

 

「罪悪感」とは、読んで字のごとく「私には罪があり悪い人なので、自分は罰せられるべきだ」という感情のことです。

罪をかぶらないといけないわけですから、どうやったって幸せからは遠ざかろうとします。

超絶ハッピーな罪人って、あんまりイメージできないですよね。

 

罪悪感があると、意識的にせよ無意識的にせよ、

幸せになってはいけないような気がしたり、

大切な人を傷つけてしまうと思ったり、

あるいはその大切な人と距離を縮めるのが怖くなったり、

愛情を受け取れなかったり、

周りに助けを求められなかったり、

目に映る問題が自分のせいに感じたり・・・

ええ、ハードモードの人生を歩きたいドMさん御用達の感情なわけですね。

 

こうした罪悪感を持つのは、「自立した人」が多いといわれます。

 

自分が何かをしたときに、相手を傷つけてしまったと感じたとき。

自分がいるのに助けられなかった、役に立てなかったと感じたとき。

自分は何もできなかった、見捨ててしまったと思ったとき。

 

「自分が」「自分は」という主体的な語が見えるように「~してあげたい」という自立的な行動の結果、「~してあげられなかった」という経験が積み重なり、罪悪感を強くしていく傾向があるようです。

それは裏を返せば、罪悪感をたっぷり持っている人は、たくさん助けたかった愛情深い人、と見ることもできるわけです。

 

そして親子関係は罪悪感の「ノーザンファーム」です。

あ、今の日本で最大手のサラブレッド生産牧場です、分かりづらくてすいません、はい。

 

親子の関係には愛がたくさんあります。

罪悪感と愛の大きさは比例すると言われますから、どうやったって親子関係の間には罪悪感の芽がたくさんあるわけです。

 

息子に何もしてあげられなかった。

いけないと分かっていても娘をまた怒ってしまった。

 

いつも不機嫌だったお父さんを助けられなかった。

お母さんに親孝行らしいことを一つもしてあげられなかった。

 

子どもは無条件で全力で親を救いにやってきますし、親もまた子どものために全力で何かを与えようとします。

人それぞれ形が違うかもしれないのですが、それは誰しもがそうしてきたのだと思うのです。

 

けれど、助けられなかった。与えられなかった。

そうした思いが、罪悪感を強くしてしまうことがあるのかもしれません。

 

傍から見れば、もう子どもなんて生まれてきただけで十分すぎる親孝行をしてくれていると言えるのに、です。

 

 

私もずっとそうした罪悪感を持ってきました。

 

実家を出て下宿しているうちに両親と今生の別れをすることになり、全然親孝行できなかった。

親が苦しんでいたときに遊び呆けていて、寄り添えなかった。

まめに下宿先に届いていたメールや手紙に、返事の一つでも書けばよかった。

今まで育ててくれてありがとう、という一言も伝えられていない。

 

悲しみに蓋をして自立に振れすぎた私は、そんな強い罪悪感を抱えていました。

 

楽しいことをしてはいけない。

幸せになってはいけない。

笑ってはいけない。

自分は毒のような存在の気がする。

大切なものを持ってはいけない。

 

意識的にせよ無意識的にせよ、そんな思いがあったように思います。

自分に対してねぎらう、褒める、いたわる、といったことは一切なし。

 

そりゃ、自分をいたわることができなければ、周りの他人をいたわることなんてできませんよね。

必然的に、スーパーハードモードの人生が展開されていくわけです。

 

それでも以前お話ししたように人間関係で行き詰り、心の世界を学ぶようになって自立を手放していくことができました。

 

もちろん、今でもそうした罪悪感はあると思いますが、まったく親孝行してないってことはないかな、たくさん親に与えられたこともあったよね、くらいには緩んできたように思います。

そして自分を傷つけるものではなくて、意識的に自分が喜ぶものを選択していこう、と少しずつ思えるようになってきました。

 

好きなことや自分の心の喜ぶことは、罪悪感すらも溶かしてくれるようです。

それを意識的に選び続けるだけでも、罪悪感は薄まるように思うのです。

 

さて、今日の最後はそんな私の罪悪感についての不思議な出来事のお話をご用意いたしましたので、お口直しにどうぞ。

 

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ちょっと不思議な話。

 

週末の休日。

留守番の私と娘は朝から一緒に、近所の公園で遊び兼ネタ仕込みの写真撮影に勤しんだ。

その後、昼前に自宅に戻って軽めの昼食を採り、一緒に午睡した。

 

気づくと私は会社で起きた。

その横で、上司と他部署の長が、客先対応のスタンスの違いで口論していた。

 

なぜか私は娘を居酒屋に置いたまま、店を出てきてしまったことを思い出した。

そして息子と一緒に出掛けたおかあに、迎えに行ってほしいことを伝え忘れてしまっていた。

焦った私は急いで車に飛び乗り、居酒屋か自宅か分からないところに向かって走り出した。

 

車内のデジタル時計は夜の11時を回っていた。

ところが夢の中でも私は運転下手なようで、車はドブ川に突っ込んでしまう。

 

なぜかそこで妙に冷静になりバックにギアを入れ直し、ゆっくりアクセルを踏むと、不思議なことにもとの道に戻れた。

 

早く帰らなくては。

でも、どこに?

一体、どこに?

どこに?どこに?

 

必死で考えていたところで、夢だったと気づいた。

 

私はほとんど夢を覚えていない方だが、ほんの30分ほどの午睡の間に、あまりにリアリティがあって生々しい夢だった。

 

炙り出された臓腑をえぐられるようなこの嫌な感じは、おそらくずっと持っていた罪悪感のような気がした。

頑張って仕事をしていても、楽しく酒を呑んでいても、いつも私のどこかにべっとりとつきまとっていたのだろう。

 

そしてそれは、意識的に無意識的に、どこからか持ってきたりコピーしたりして、ずっと抱えてきたものなのだろう。

それでも何かしなければいけない、とか考えるのはやめた。

ただ気づいただけで、白いできもののような粒が、プツプツと潰れたような気がしたから。

 

それにしても、不思議な体験だった。

回らない頭で半座のままぼんやりしている私に、娘が起きがけにつぶやいた。

 

おとうさん、すきなことしていいよ。

 

つくづく小さな師匠はよくわかっていらっしゃる。

何と返したらいいか分からず苦笑する私に、小さな師匠がかけてくれた次の言葉は、

 

おとうさんといっしょに、うんちしたい。

 

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2017.6.12

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すきなことして、いいよ。

罪悪感に負けないように、小さな師匠の教えを今日も忠実に守っていきたいと思います。

 

今日もお越し頂き、ありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

 

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