【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

私がブログを書けるようになった、一つの心理的な区切り

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。店主のおおさきです。


先日もご紹介させて頂きましたが、この割烹で言の葉を綴り始めてから半年が経ちました。
しかし、実は「書こうかな」と思ってから実際に書き出すまで8か月ほどブランクがありました。


今日はその「0」から「1」に変えられた区切りについて、綴ってみたいと思います。

 

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私がブログを書こうと思ったのは、私自身がブログというものに救われたからです。

以前にこちらでそんな言の葉を綴りました。

 

その根本さんのブログの中でも、この記事なんてほんとに心に響きました。

おそらくたくさん救われた人がいるんじゃないかと思っているのです。

 

そんな中、一昨年の12月に大阪で根本さんの個人セッションを受けた際に、
「ブログ、ためしに書いてみると、いろいろといいですよー。嫌になったら全部消しちゃえばいいんだしー」

とかるーく仰られました。


そこで恥ずかしながら、いつか私も根本さんのように人の心に響く言葉を綴ってみたい。そんなふうに思うようになりました。

 

しかし、そこからが長かった。

 

もともと「最上志向」のベースメントで腰の重い私のこと、ためしに始めるというのはハードルが激高い。

しかも当時はコミュニケーションツールはメールくらい、Facebookやインスタ、Twitterはいざ知らず、LINEすら私のスマートフォンには入っておりませんでした。

 

ええ、お恥ずかしながら縄文時代を生きており、ブログやSNSは怖いと思ってました。

インターネットのブログから勇気をもらっていたのにもかかわらず、です。意味不明ですよね。

 

その後Facebookを始めて、ぽつぽつと投稿を始めたものの、やはり不特定多数の方に見られるブログは抵抗が大きかったのです。書こうとすると、さまざまな「やらない理由」がムクムクと出てきます。

 

毎日書くのは面倒くさそう。
私には発信する情報がない。
知っている人に見られたら恥ずかしい。
何か書いて、批判されたら怖い。
パソコンに詳しくないから無理。
別に書かなくても何にも変わらないし。


などなど、腐るほど「やらない理由」が浮かんできます。
今思えば、それぞれの理由にいくらでも反論できるわけです。

 

←別に毎日更新にこだわらなくてもいいんじゃないの?
←それ、ほんと?37年間生きてきて、ほんとに何にもない?
←それなら匿名で書けばいい
←批判されて何が怖いのか、具体的に考えてみたら?
←ググったら?
←それならやらなければいいんじゃない?

 

・・・とまあ、それと同じくらいの「やれる理由」も思いつくわけです。それでも、「0」を「1」にするジャンプは怖かった。


そんなこんなでしばらく悶々としながら、「やらない理由」のうち最も大きかったもの、それは「知っている人に見られたら恥ずかしい」ということ。

言い換えると、「知っている人が私の書いた文章を見たら、きっと批判されたり、嘲笑されたり、攻撃されたりするんじゃないか?」という思い込みがありました。

 

そんな批判されるほどの影響力なんて、すぐに持てるはずもないのに、自己否定と被害妄想をこじらせ過ぎて、よくわかんない状態ですよね。

まして、匿名でブログを書いておられる方なんていくらでもいるのに、です。

 

そうして悶々としているのと並行して、私は自分のガチガチに冷えきっていた心と向き合ってきました。


立て続けに突然肉親を亡くして、ずっと必死になって頑張って封印してきた寂しさという感情を感じたり、他人への心理的な依存と癒着を切るために、「私は私、人は人」という言葉をぶつぶつと毎日毎日つぶやいたり。


そうしていくうちに、少しづつ抑え込んできた感情を豊かに感じられるようになり、他人との境界線も徐々に引けるようになってきました。

 

人からどう思われても、私は私。

私は私が好きだと感じるものを大切にする。

 

今になって思うのです。

ずっと私が気にしていた「他人の目」というのは、「両親の目」でした。

 

両親に好かれよう愛されようと、行動の基準が「両親からどう思われるか」という無意識のフィルターがかかっていました。

それだけ、突然亡くした両親を慕い、愛していたということなのでしょう。

 

けれど、自分に子どもができて初めて分かります。
子どもたちが自分の好きな道を自分で選んで、楽しく生きていってくれることが何よりも嬉しい。

親のためになんか生きなくていい。

 

それまで私は自分が大した親孝行もできなくて、両親に本当に悪いことをしたという罪悪感からか、どこかで両親は不幸だった、というような思い込みのジャッジをしていました。

 

しかし、そうではなかった。

私の両親は、最高に幸せな人生をまっとうした。

 

そして私も同じように、いえ、それ以上に幸せな人生を歩んでいい。
それは、好きなものを好きと言い、美味しいものを美味しいと言い、綺麗なものに感動して、ときに悲しいことには涙して、大好きな人たちと生きていってもいい、ということ。

 

そう思えたとき、ようやくルビコン川を渡り「0」を「1」にすることができたのです。


私の言の葉を綴ってみたい。

この広い世界のどこかに、それを必要としてくれる人がいるはずだ。


そんな想いでした。

私がここで言の葉を綴り始めたのは、そこからです。

 

こうして振り返ってみると、やはりこの割烹で言の葉を綴ってきてよかったな、と思うのです。

 

今日もお越し頂き、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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