大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

続々・「感謝」はスゴインデス。

昨日、一昨日に続いて「感謝」についての話題です。今日はちょっと視点を変えて、「感謝」があふれることの効用について。

 

日々を豊かに暮らすには、ドバドバ系よりもジワジワ系の幸せを味わうのが一番だと思うのです。それは遠足を待つ日が楽しいことに似ています。


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在来線

デッキ

柔らかな陽光

雲に隠れた山の稜線

文庫本

 

学生の頃を思い出す夏の終わりに。

セロトニンが滲み出る。

 

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 2017.9.9

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これがあったら、これができたら、もう最高に幸せ!!!ってこと、ありますでしょうか。

 

欲しかったあの腕時計を買ったとき?
ずーっっと楽しみにしていた評判のイタリアンに行けたとき?
知る人ぞ知る秘境の名湯に一人浸かっているとき?
営業成績ナンバーワンで表彰されたとき?
グランドキャニオンのような絶景を前にしたとき?

 

人それぞれ、いろんなシチュエーションがあると思います。こうした願望が叶ったときの幸せは瞬発力があり、爆発力がありますよね。よく「アドレナリンがドバドバ出る」というような表現がありますが、そんなドバドバ・アドレナリン系の幸せです。

 

ところが、この幸せって長続きしないことが往々にしてあります。遠足や祭りのあとは寂しいんですよね。桑田佳祐さんの「祭りのあと」は名曲ですが・・・

 

ドバドバ系の幸せは麻薬のようにキックバックがあって、それが切れたときの渇望感に襲われることってありませんでしょうか。

 

この渇望感っていうのが曲者で、「あーもう、次にそのドバドバが味わえるのいつ???」となって、もっと刺激の強いドバドバを求めてしまうことがあります。それって、かなり辛いんですよね。ドバドバが出るたびにハードルを上げないといけないから。言葉はアレですが、ジャンキーと同じ状態の循環に陥ってしまうと、苦しいわけです。

 


いっぽうで、ジワジワ来る系の幸せ、というのもあります。

 

私はあまり医療関係に詳しくないのですが、言の葉にあるようにセロトニンという物質が「幸せホルモン」と呼ばれるので、それにかけた表現もよくされます。こジワジワ・セロトニン系の幸せは、場所やシチュエーションを選びません。

 

亡きおじいちゃんの形見の時計を眺めたり、
コンビニのおにぎりを一口一口味わって食べてみたり、
家のお風呂でゆーっくり半身浴をしてみたり、
同僚に仕事を助けてもらったり。
今日の空に浮かぶ雲の形を眺めてみたり。

 

どんなところでもジワジワ系の幸せは味わうことができます。そして、その幸せの鍵を開ける呪文が、

 

アバカム!」

・・・ではなくて、

「ありがとう、ありがたいなぁ」

という感謝の言の葉なのです。

 

昨日の言の葉の原因と結果を入れ替えるお話がありましたが、

 

幸せなシチュエーションだから、「ありがとう」と言う。
「ありがとう」と言うから、幸せなシチュエーションになる。

どちらが先なのでしょうか。私はどちらも真実だと思うのです。


・・・え?
きれいごと?じじむさい?願望をあきらめてる?

いえいえ、私はそうは思いません。


そうして感謝しながら日々を楽しむ延長線上に、望んでいたものがあるのだと思うのです。


三ツ星レストランの料理を望むなら、
それと同じように、目の前の食事を感謝とともに味わってみる。

 

世界遺産の絶景が楽しみなら、
それと同じように、今日の頭上の空の色を見上げてみる。

 

愛する人との情熱的なセックスを望むなら、
それと同じように、まず日々の会話と目線で相手を愛でてみる。

 

成功や成果を褒められ認められたいのなら、
それと同じように、周りの人に感謝し、認めて褒めてみる。

 


そんな日々を重ねていると、超絶に楽しみしていた遠足の場所に連れていってもらえます。

 

けれど、きっとそこで気づくのです。
遠足が幸せの本体ではなく、遠足までの指折り数える毎日こそが本体なのだと。

 


さて、今日から2月になりました。
変わらず厳しい寒さも、「ありがとう」
今日もご来店いただきまして、「ありがとう」

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。