【言の葉割烹おおさき】で会いましょう

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「レターポット」の革新性について考えてみる

キングコング西野亮廣さんが昨年末に提供しはじめた、新しい「サービス」であり「コミュニケーションツール」でもあり、「通貨」でもある「レターポット」。

 

「言の葉割烹」店主の私も登録して始めてみました。

今日はそのレターポットについて、私が革新的で素晴らしいと思う点を考察したいと思います。

 

まずサービスについての簡単な説明のあと、私が革新的と思う点を3点挙げてみたいと思います。

 

1.どんなサービスか?

WEB上でFacebookに連動したアカウントの相手とメッセージを贈りあうことができます。それだけを聞くと「EメールやLINE、Messengerと何が違うの?」となりますが、このレターポット上では「1文字=1レター」と規定されており、「保有するレター=贈ることのできる文字数」となります。つまり、贈ることのできる文字に制限があります。

 

「レター」は100レター540円(税込)でクレジットカードで購入することができるほか、相手から贈ってもらったレターはそのまま次の相手に贈ることができます(ただし4か月使わないと、レターは腐って使用不可になるそうです)。 

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今日時点の私のレターポットの中身はこんな感じ。

 

概要はそれだけなのですが、一通り聞いただけでは

 

「何で通貨なの?」

「他のコミュニケーションツールと比べて不便そう・・・」

「文字を贈るだけならLINE・メールで十分じゃない?」

 

といった感想になるかもしれません。私も予備知識なしで聞いていたら、そんな感想だったと思います。

 

私はテレビやお笑いに疎いのですが、1年前に「えんとつ町のプペル」のWEB上の無料公開版をうっかり会社のパソコンで開いてしまって号泣して以来、西野さんのブログをずっと拝見しています。そうしているとレターポットの革新性が私にもおぼろげながら見える気がします。

 

今日はそれを整理して説明することで、私の周りにもたくさんレターポットを始める方が出てくるといいなと思い、書いてみます。

 

 

2.通貨=言語というまだ名前のないもの

西野さんは「レターポット」を「通貨」だと言います(事実、リリースの直前までユーザーが保有する「レター」の換金機能を付与すること検討されていたそうです)。

 

なので、まずは「通貨」とは何なのか?についての考察が少し必要かと思います。

 

私は学生時代に雀荘で中国語、パチスロで確率論を学ぶ傍ら、経済学も学んでいました。ところが数字がからっきし弱い私でしたので、主流の経済学からはドロップアウトして、経済思想や貨幣論を学んだりしていました。

 

カール・マルクスやらアダム・スミスやら、もう今となっては名前しか思い出せないような過去の偉人が貨幣についてどう考えていたのか、に興味がありました。

 

「貨幣とは労働の価値を表したもの」とか、

「価値の尺度と交換するもの」とか、

 

いろんな考えがあったと思いますが、とどのつまり貨幣(=通貨)の定義とは

 

「みんながその価値を信じていて(=共同幻想)、あらゆるものと交換可能なもの」

 

と定義するのが最も腑に落ちた記憶があります。みんながその貨幣と呼ばれるものに価値を信じていて、今日のこのお酒にも交換してもらえるし、明日はガソリンにも交換してもらえるから。だから、古くは貝殻から宝飾品だったもにが、地金、貴金属を経て、硬貨となり、現在では見ず知らずのオジサンやオバサンが描かれた紙をみんなありがたがるのです。

 

さて、こうした通貨の定義は、われわれの身近にあるものに似ています。

 

そうです。「言語」です。

 

「言語」も、それ自体に何か意味があるからその言語となっているのではなく、みんながそれを信じているから会話が成立するのです。「ねこ」という語にあのモフモフの愛くるしい生きものを表す何かが含まれているわけではなく、あのモフモフを「ねこ」とみんなが信じている(=共同幻想)から、「あのねこ、可愛いね」の会話が成立するのです。

 

そして、言うまでもなく「言語」は交換可能(日本語を話す人なら、コミュニケーションを取ることができる)です。

 

このように「通貨」と「言語」は親和性が高いのです。

そして西野さんが悪魔的に天才なのは、「レターポット」においてこの「通貨」と「言語」をイコールにしたことだと思うのです。「レター」は「クレジットカード」で買うことができるのですから。

 

歴史上、幾多の「通貨」が現れては消えていきました。「言語」もそうですね。「ビットコイン」のような新しい通貨や、今となっては誰も使っていない古代エジプトの象徴文字など。そしてそれはこれからも変わらないでしょう。

 

それでも、「通貨」と「言語」をイコールにしたものは未だかつてありませんでした。「レターポット」内で「レター」と呼んでいるもの、それは人類が初めて手にした「レター」としか呼べないものなのです。

 

そしてその「レター」を使って、言葉を贈ろう。

レターポットとは、そんなサービスとも通貨ともコミュニケーションツールとも言える、不思議なものなのです。

 

・・・と書いてみましたが、要約すると「レターポット」とは、

「通貨」=貴重なもの、大切なもの。それを「言葉」に変えて大切な人に贈れる全く新しいもの。それは「レターポット」としか呼べないもの。

 

となるでしょうか。

 

 

3.傷つくならば、それは「愛」ではな

「レターポット」において、西野さんは「既読スルー」、「返信不要」を推奨されています。

 

 

西野さんは 「恩贈り」、「ペイフォワード」、「give&give」などの言の葉で表現されておられますが、私はそれを心理的な部分から考察してみたいと思います。キーワードは、「与えることと、受け取ることは同義」です。

 

以前に、このようなことを書きました。

 

要約すると、

「贈ってもらった恩は、必ずしもその贈り主に返さなくてもいい。申し訳なく思ったり、義務感や嫌われる恐れからお返しをするよりは、全力でありがとー!!!って受け取る方がいい。そんで今度は自分が与えたい人に、もらった喜びを全力であげたらいい。そうすると、相手のリアクションが気にならない」

 

そんなところです。

与えることと受け取ることは、本質的には同義だとされます。自分の心の底からの「愛」に基づいたものならば、相手がどう反応しても傷つかないからです。

 

その逆もしかりで、レターはクレジットカードで買うこともできますが、誰かから貰ったレターを使うことができます。これは結構すごいこだと思うのですが、「クレジットカードを持ってなくてもレターポットを始めている方がいる」のです。

 

そういう方は、twitterなどで「レターくださーい!」とつぶやくわけです。それを見た見ず知らずの人が、「どうぞー使ってくださーい」と贈ってくれる、そんなやさしい世界がそこにはあります。そこに申し訳なさや引け目を感じる必要は全くないわけです。贈ってくれる相手も好きでやっているわけですから!

 

さて、既読や返信がなかったときに不安になったりイラッとしたりするのは、自分が与えたものの中に「犠牲」や「自己承認欲」、「義務感」といったものが含まれているからです。レターを実際に贈ってみると分かるのですが、贈るだけで満たされた気分になるのです。

 

・・・とカッコいいこと書きましたが、かくいう私もまだまだ未熟な人間です。

過去に負った心の傷から、徹底的に「give&take」、「犠牲」と「自己承認欲」バリバリな人間だった私でしたが、ありがたい人のご縁によって、少しずつ「give&give」、「恩贈り」、「無償の愛」といったことを学んいっていることは、以前こちらに書きました。

 

 

正直まだまだ「既読」がつかないことに不安になったり、「返信」が欲しかったりする弱い部分も、たまには(いや、ときどき?よく?)もあります。

 

つまり、レターポットは贈る側の成熟性が求められるコミュニケーションだな、と思うのです。そしてレターポットを使うことでそれが磨かれる、とも。

 

このあたり「自分以外のことはどれだけ理不尽に見えても、コントロールのしようがない、それよりも自分がどう考え、どう動くかが重要」と言い換えると、理解しやすいと思うのですが、いかがでしょうか。

たとえば、

 

・忠誠を誓った会社のために身を粉にして働いてきたのに、リストラされた

・大好きな彼のために一生懸命尽くしてきたのに、突然フラれた

・信頼していた友人にお金を貸したら、持ち逃げされた

・大切な子どもを思って心を込めて作った料理を、食べてくれなかった

 

そこで傷つくとするならば、多かれ少なかれ「犠牲」や「自己承認欲」、「怖れ」といった自分のエゴの部分が作用していると思うのです。そこでもう一度自分を見つめ直して、地に足をつけて歩いていくと「既読スルー」でも「返信なし」でも傷つかず、「与える喜び」を受け取ったり、「無償の愛」が与えられるようになると思うのです。

 

「自分の好きなことをしているだけなのに炎上してきた」西野さんが言うからこそ、「既読スルー」、「返信不要」は説得力があります。

 

そして、「愛から与えている人」は時間を追ってですが、必ず同じかそれ以上のものを「受け取る人」になれます。これは人間関係でもビジネスでも同じですね。それを人間関係では「無償の愛」と呼ぶでしょうし、ビジネスでは「ペイ・フォワード」、「give&give」という言の葉で表現されるのでしょう。

 

ただ注意したいのは、「受け取るために与える」のは相手のコントロールになってしまい、往々にしてうまくいきません。「これをやったらこうしてもらえる」というマインドは「犠牲」であり「怖れ」です。

 

と、心理的な側面から考察してみましたが、西野さんがえげつなく天才なのは、前項で考察した「通貨」=「言語」に加えて、さらに「信頼や愛情や感謝」といった人間臭いものをレターポットに結び付けてしまったことだと思うのです。

 

ここまでを要約すると、

レターポットではレター=通貨=言語=信頼・愛情・感謝になっているので、「メッセージを贈る喜び」が「相手に与える喜び」とセットになっていて、レターを贈ると幸せな気分になれます!

となるでしょうか。

 

 

4.有限であるからこその価値

これはレターを実際に贈ってみると分かるのですが、レターの文面は本当に真剣に考えます。レターポットでは1文字=1レターとなっており、保有しているレターを越えて贈るためには、購入するか誰かからレターを贈って貰わないといけないわけですから、当然です。

 

そうして頭がちぎれるくらいひねって考えた言の葉だからこそ、価値を持ちます。

受け取ったときに、めっちゃうれしいんです。

 

もしも人に何かを伝えるときに、100文字しか伝えられないとしたら、誰に何を伝えますか?儀礼的な挨拶でしょうか?定型文でしょうか?まさか誹謗中傷には使わないですよね?

 

決してそうではなく、その人に伝えたい本質を表現した言の葉になるのではないのでしょうか。そして、それは必ず愛情であり感謝になります。人のココロの奥底の本質は、それだから。

 

だから、レターポットの世界は美しいと思うのです。

 

普段何気なく暮らしていると忘れてしまいますが、私たちの生は有限です。死後の世界がどうなっているかは存じ上げませんが、少なくともこの肉体を持って生きられる時間には限りがあります。

 

その有限な時間を使って、あなたは何をしますか?

あなたの本当に大切な人やものに、有限な時間とエネルギーを注いでいますか?

 

限られた文字数しか使えない、不便ともいえるレター。

西野さんがレターポットに込めたのは、そんなメッセージだったと思うのは、私の穿ち過ぎでしょうか。

 

けれど、そのメッセージは今の私にはとても響くのです。

 

もしも今日は100字しか言の葉を使えないとしたら、あなたは誰にどんな言の葉を贈りますか?もしも今日しか生きられないとしたら、あなたは誰にどんな言の葉を贈りますか? 

 

 

5.おわりに

と、ここまでレターポットの素晴らしさ、革新性について私が思うことを述べてみました。少しでもお伝えすることができましたら、幸いです。

 

通貨を通貨たらしめている要因の一つに、「流通量」があります。「流通量」が多ければ多いほど、その通貨はさらに価値を持ちます。一人でも多くの方がレターポットを始めて流通量が増えて、レターを贈れる方がもっと増えるといいな、と思っています。

 

そんなレターポットの登録はこちらからできます。要Facebookアカウントです。

私のレターポットはこちら。

大嵜 直人さんのレターポット | LetterPot (α)

 

ぜひ、いっしょにこの不便で人間臭くて、そして素晴らしいレターを贈りあいましょう。

 

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