大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

変わらないから、何かをやめてしまうのがもったいない理由

人の変化や成長は直線的ではなく、階段状。

だから何かを取り組んでいるけれど始める前とあんまり変わらなくて、続けるモチベーションが薄くなったときにやめてしまうのは、もったいないと思うのです。

 

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私は運動神経が人よりも(少しだけ)鈍いので、器械体操などが苦手でした。あ、ちょっと見栄張りました。ほんとは球技もイマイチです。

 

小学校の頃、逆上がりが出来なかったり跳び箱が跳べなかったりして、かなりコンプレックスがありました。純粋な少年だったあの頃の私は、できるようになりたい!と夕暮れの校庭で逆上がりを練習したように覚えています。

 

ひとり、がむしゃらに練習するのですが、いっこうに出来るようになりません。それでも続けていると、ある日突然「くるん」と回れた日がきたように覚えています。いままでと同じように練習していたのに、なぜ?と不思議でした。

 

 

少し前に私がランニングで10kgほどダイエットしたお話をさせて頂きました。その際も同じような体験をしました。走り出してしばらくはまったく体重が変わらず、面白くありません。やはり人間、目に見えるわかりやすい結果が欲しいものですよね。

 

それでも不思議なことに、それでも久しぶりに会う人には「痩せました?」と言われるのです。体重変わっていないのに。そうこうして1ヶ月ほど走っていると、ある日を境に「するする」と体重が落ちてきたのです。それこそ毎日体重計に乗るのが楽しみなくらい。このタイムラグ、不思議ですね。

 

 

学生時代に、チェロを演奏していました。音楽的な素養もなく18歳から始めましたので、なかなか初めの頃は思うように弾けずに四苦八苦しました。どうしても弾けない早いフレーズがあって、どうしても左手と右手の動きが連動しません。

 

それでも練習を続けていると、ある日突然友人から「お、だいぶ弾けるようになったじゃん」と言われたことがありました。言われて、あれ?そういえば結構上達したかも?と気づくのです。

 

 

もっと、も同じような話はいろんな場面で見られるかもしれません。

英会話を学んでいてた人が、ある日のレッスンで今までとは全く違ってスムーズに会話できた、というような話も聞きますし、

あるスポーツで取り組んでいたけれども、長い間できなかった技術が、ある日ふっとできるようになったというようなことも聞きますよね。

 

 

何かができるようなったりするとき変化が起こるとき、それは「なぜか、ある日突然、何となく」ということが多いように思います。人の変化や成長は、右肩上がりの直線状ではなくて、階段状になっていると思うのです。

 

踊り場のような場所でずっと停滞していたと思ったら、ある日突然、急に一段階段を上るような大きな変化が訪れる。そしてまた踊り場で停滞を繰り返していたと思ったら、またある日ジャンプアップする・・・人の成長や変化は、そんなモデルが描けるように思います。

 

毎日ほんの少し、一滴ずつ、一滴ずつ垂れていく水が、やがてあるとき大きな雪解けの水となり、春の訪れを告げるように。季節の移ろいが見せてくれるのは、私たちの成長モデルでもあります。

 

ただし、その成長モデルには「続けていたら」という前提が入ります。

 

いま変化がないからといって、何かをやめてしまうのは、とてももったいないと思うのです。

もう少しだけ。

あと少しだけ。

続けてみると、あれれ??という風景が見えるかもしれません。

 

 

踊り場のように見える場所で、本当に文字通り停滞して何もしなければ、ある日突然の「くるん」や「するする」や「お、だいぶ弾けるようになったじゃん」というジャンプアップはないように思います。

 

だから、もしもお客さまが変わらないと思っておられることがあっても、

もう少しだけ。

あと少しだけ。

続けてみてはいかがでしょうか。

 

 

どうぞ、今日もごゆっくりお過ごしください。