大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

「好きなもの」は幸せのハードルを下げてくれる

好きなことをしていると時間があっという間に過ぎ去ってしまうこと、ありませんでしょうか。そうした好きなことをしている時間は、とっても幸せのハードルが低い状態だと思うのです。

 

クルマが好きな人は、洗車しているだけで幸せ。

絵を描くことが好きな人は、キャンバスの前に立つだけで幸せ。

歌が好きな人は、ヒトカラでも幸せ。

神社が好きな人は、神社を街中で見かけただけで幸せ。

 

・・・人によっていろんなツボがありますよね。

好きなことをしているとき、きっと私たちの幸せのハードルはベタベタに下がっていると思うのです。そして、その好きなことは、特別なことでなくても日常の中でも十分に探せると思うのです。

 

今日はそんな言の葉を。

 

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基本的に美味しいものが好きだ。

美味しいものを食べながら、お酒を舐めているときに幸せを覚える。

 

では食に対してうるさいかと言われると、これが全く逆で、食べ物を不味いと感じたことがほとんどない。嫌いな食べ物がないというのもあるのだが、外食をしていて料理の味で不快に感じたことはないように思う。ファーストフードの店でも、レストランでも居酒屋でも。

 

振り返れば学校の給食や学食でも同じで、不味いと思ったことはないので残したことはあまりなかったように思う。

これを話すと、えぇ?とあまり信じてもらえないことがあるのだが。

 

 

おそらく、私にとっての食に対しての判断の基準が

 

とーーーっても美味しいものか、

とーーっても美味しいものか、

とーっても美味しいものか、

とても美味しいものか、

美味しいものか、

 

の違いだけなんだろう、と思う。そして食べることが好きなんだろう。

 

ただ料理にしても素材にしても、そこに携わる人のエネルギーには敬意を感じる。それは値段や金銭的なものではなくて、情熱だったり、ストーリーだったり、時間だったり。

 

何にせよ、「好き」って要はこういうことなんだろうな、と思う。

 

そこには、競ったり、驕ったり、焦ったり、比べたりせずに、ただあるものをバカになって楽しむだけ。

 

幸せになるために鍵、自立を手放しておバカになることだとは言うけれど、どうやら私は食べることに対しては相当おバカらしい。

 

好きなものがあって、よかった。

 

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2017.9.20

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では自分の好きなことは何か?と考えてみるときに、大上段に構える必要もないと思うのです。

 

今日の言の葉のように、私は食べることが好きなのですが、食通でもなければ星やグルメサイト高評価のお店を巡ったこともありませんし、特別に食に対して詳しいわけでもありません。

 

でも、毎日食べることに幸せを感じます。

自宅の朝食でも、食堂でも、ふと入ったラーメン屋でも、子どもたちのリクエストのファーストフード店でも、お気に入りの居酒屋でも。

 

以前にこちらの言の葉で、幸せのハードルを下げるためには、細部を見つめることが有効だとお話しさせて頂きました。それと似た感じですね。

 

きっと幸せのハードルが地下にまで下がった達人になると、息をすることや歩くこと、そこにある風景を眺めること、いろんな音を聞き、香りを感じることすらも好きなことになれるのでしょうね。

 

 

お客さまの好きなことは何でしょうか。

それは、意外と身近なところにたくさん転がっているのかもしれません。

 

それでは、どうぞごゆっくりお過ごしください。