大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

私が言の葉を書き続けるきっかけとなったブログ

昨日に続いて、私が言の葉を日々綴るきっかけとなったブログについて、少しお話しさせてください。

 

それは作家かつカウンセラーでもあり、講師でもある根本裕幸さんのブログでした。 

 

 

何度このブログの言の葉に救われたか分かりません。

 

今日は、そんな根本さんのブログからのご縁についての言の葉をどうぞ。

 

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早くも11月並みの寒気だそうだ。

 

先週末は、まだ公園でツクツクボウシが一匹鳴いていた。あれだけ騒がしかったアブラゼミクマゼミの姿は、もうない。

 

そんな秋の日に、蝉と耳鳴りについて書いてみる。

 

一年前の盛夏の頃だった。

去年も同じようにアブラゼミクマゼミはその声の大きさを競っていた。私はというと、蝉と同じように周りと正しさを競っていた。

 

蝉の鳴く声は求愛だが、自立をこじらせていた私の正しさへのこだわりは、対人関係の全てをうまくいかなくしていた。気付けばもう何年も前から、私の周りの世界はべっとりと重い空気に覆われ、色を失っていた。

 

僅か10分ほどの面談で、処方されるデパスと誘眠剤の量を加減しているだけに見えた心療内科に愛想が尽きた私は、ネットの海の片隅に浮かぶ言の葉に希望を見つけた。

 

今でもよくぞ探し当てたと当時の自分を褒めちぎってやりたいが、こういうのは必要な時に必要なものが与えられるらしい。

 

心に響く言の葉の記事には、いつも根本裕幸さんの署名があった。

 

ストーカーのように根本さんの言の葉を貪り読んだ。たくさん泣いたし、自分の抱える闇に気づいて、おぇっ・・・と鼻をつまんだし、たくさん癒されたし、そしてほのかな希望を持つことができた。

 

どうしてもこの人に会いたいという欲求を抑えられなくなった。

 

心の世界に触れるようになり、耳年増になっていた私は、人の抱える問題との多くは親との関係から派生してくることを知識として聞いていた。

 

それは両親との葛藤であったり、愛憎であったり、対立であったりするけれど、ほんの少しのボタンの掛け違いや思い込みが、形を変えて多くの問題として現れる。友人、恋愛、仕事、結婚、お金など。

 

というよりも、今なら向き合えますよ、と神様なのか仏様なのか、何か大きなものが、問題を通じて示唆してくれているのかもしれない。

 

二十歳過ぎに両親を亡くしていた私の場合は、その問題は喪失と統合だった。

 

僥倖にも初めて根本さんにお会いできたときに、全く相談内容からは関係ないと思われる、けれどえげつない宿題をたくさん頂いた。

 

子どもの頃、好きだったものをたくさん挙げる。

 

両親に感謝できることを100個探す。

 

両親に対して恨み辛みをあえて書き出す。

 

それが出来たら、両親に相談する手紙を書いてみる。

 

えげつなかった。最初の3つはお会いした翌日からやって、半月くらいかかっただろうか。それでも何とかこなした。

 

でも、どうやっても最後の一つが出来ない。

 

忙しい、疲れた、時間がない、別にやらなくてもいいんじゃないか、云々カンヌン言いながら、1か月半くらいは逃げていた。

 

けれど直感的に自分の人生のキーストーンはこれだと感じていた私は、ようやく重い腰を上げた。平時の夜、日付が変更したあたりから手紙を3時間くらいかけて書いた。

 

途中から嗚咽が止まらなくなり、長い間号泣した。

 

泣き疲れて、そのまま寝た。

 

仮眠して起きたときも、私の目から涙は流れていた。起きてまでも泣いていたのは、後にも先にもこの日以外には記憶がない。

 

逃げていたのは1ヶ月半ではなかった、15年だった。

15年経って、ようやく初めて父と母に呼びかけることができた。

 

お父さん、お母さん、寂しい、と。

 

人の心は、処理できる能力を超えることが起きると、ブレーカーを飛ばす。壊れないために。そして、それをなかったことにする。あったとすると耐えられないから。

 

15年の間、私はそうして声に出して呼びかけることができなかった。ずっと私は両親の存在をなかったことにしていた。あったとすると、今会えないのが辛すぎるから。

 

それが15年経って、ようやく両親の存在を認めることができた。ようやくもう会えないのを認めることができた。それでも、呼びかけることができた。

 

15年前に止めた時計の針を進める大きな出来事だった。

 

自分でも驚くほど泣いて気分はすっきりしたけれど、それでも現実は何ら変わらない。

 

その夜から少し経ったある日、私は絶望的な気分で盛夏の刺すような朝の陽射しの下、駐車場から会社までを歩いていた。

 

蝉時雨とも呼べる蝉の合唱が耳を貫いていた。

 

なぜか突然に気づいたのだが、それは父と母の声だった。

どこまでも真っ直ぐで、どこまでも優しかった。

 

あぁ、いつもこんな近くにいてくれたんだね、お父さん、お母さん。

 

気付けば、頬を伝う風にもそれを感じることができた。

 

なんだ、そうだったのか。

ただ形を変えただけだったんだ。

昔のように名前を呼べば、いいんだ。

 

何も失われていないし、何も余分なものはない。

 

 

いつからか、耳鳴りがするようになった。

 

よく耳を澄ませると、この金属音はあの蝉時雨の声に似ていて、とても愛おしくなる。

 

 

まあそんなこんなで、根本さんとのご縁には感謝してもしきれないし、私は言の葉の力を信じているし、今日も元気です。

 

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2017.9.29

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それが転機でした。

そこから私は自分の内面と向き合い、マリアナ海溝に潜り、寂しそうにしていた幼い自分を見つけ、癒してきました。

 

マリアナ海溝に潜る - 【割烹おおさき】へようこそ

 

続・マリアナ海溝に潜る - 【割烹おおさき】へようこそ

 

ずっとずっと寂しかった。 - 【割烹おおさき】へようこそ

 

 

そんな根本さんとのご縁のおかげで、今こうしてこの割烹で言の葉を書き続けることができています。

 

受け取った分、与えられるようになりたい。それは今すぐでなくても。たとえ1ヶ月後でも、1年後でも、10年後だとしても。

 

今はそんな想いで日々綴っています。

 

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。