【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

ほいくえん、いや!

久しぶりに晴れ間が出たと思ったら、また雨模様ですね。

 

だいぶ夜も寒くなってきました。気付けば月曜日が二十四節気の中の一つ、「霜降」だったようですね。北国では霜が降りはじめ、動物たちが冬支度を始めるころ。道理で寒いものです。

 

しかもまた新しい台風が発生して、週末に接近するかもしれないそうです。

何とか今回は逸れてくれるといいのですが。

 

今日は同じように週末の夜に訪れた台風の言の葉を。

 

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週末の夜に。

 

息子が大爆発。

おもちゃが壊れたことに端を発したが、

 

ほいくえんいや!いきたくない!

 

珍しく物にあたり、収まりがつかない。無理矢理抱きかかえて夜の川沿いを一時間半。

 

どうしていきたくないのかな?

問いかける私に、ぽつりぽつりと話してくれた。

 

おかたづけ、できない

リズムもにがて

おそうじもばいきんがいや

ロッカーもじょうずにせいりできない

だから、せんせいにおこられる

 

ぜんぶ、にがて

だからずっとずっとおやすみがいい

おとうさんとおかあさんといっしょがいい

 

涙ながらに訴える息子に、

 

かたづけできなくていい

リズムもうまくなくていい

おそうじもにがてでいい

 

そんなことができなくても、おとうはあなたをあいしてる

おとうは、あなたのいいところ、たくさんしっている

 

とってもやさしいところ

おかあににてユーモアのあるところ

ブロックつむのがだいすきなところ

くるまもでんしゃもだいすきなところ

きちょうめんでクルマのライトけしわすれるとおしえてくれたり、おとうがシートベルトサボるとすぐにおこってくれるところ

 

でもね、それもとてもとてもすばらしいんだけど、

 

あなたはうまれてきてくれただけで、すばらしいんだ。

うまれてきてくれて、ありがとう。

おとうとおかあをえらんできてくれて、ありがとう。

 

そんなことをつとつと話した。

 

話しているうちに、こりゃ自分に言い聞かせてるんだろうな、と薄々気付いてた。息子は鏡で、ただ自分という存在を写し出しているだけ。

 

どうしようもない悲しみと凍えるような寂しさに蓋をして、自己否定の強いおとうの生き方のコピーをさせてしまった。

 

どれだけ自分=息子と向き合ってこなかったのか。

罪悪感と無力感、やるせなさと後悔を大いに覚えたが、そんなことはクソの役にも立たないから、今気付けてよかった、これは自分と向き合い出したことの好転反応だと思うことにする。

 

自分と向き合い続けると、必然的に最も近しい存在と向き合わざるを得なくなる。両親、パートナー、子ども・・・強い強い怖れが噴き出てくる。

 

夜明け前が、一番暗い。

トンネルは、意外と長い。

好転反応、あるいはカルマ出し。

 

でも、きっと大丈夫。何とかなる。

 

それは息子が親の思い通りに変わるだろうという自信や確信や希望的観測では、おそらくない。

どう転ぼうとも、息子は息子の人生を勝手に歩いていく。

 

私は私で自分と向き合うことから逃げさえしなければ、どうとでもなる。

 

結局、死にはしない。

最悪の線は、おそらく死の一歩手前に、引かれている。

 

 

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2017.5.1

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書いていて、懐かしいですね。

つい半年ほど前のことなのですが、昨日のことのようでもあり、もうずいぶんと昔のことのようにも思えます。不思議な感覚なのですが、そんな出来事ってありますよね。

 

この言の葉を綴った頃の私は、ちょうどブクブクと潜っていたマリアナ海溝から抜け出しつつあった頃でした。

 

マリアナ海溝って?というお客さまはよろしければこちらの言の葉をどうぞ。

 

マリアナ海溝に潜る - 【割烹おおさき】へようこそ

 

続・マリアナ海溝に潜る - 【割烹おおさき】へようこそ

 

ずっとずっと寂しかった。 - 【割烹おおさき】へようこそ

 

はい、今読み返してもお恥ずかしいですね。

 

けれど、私の人生の一つの転機でした。

自分自身という唯一無二の存在を私自身がどう扱うか、というベクトルが変わりました。周りに比べて自分には価値がない、こんなんじゃダメだ、寂しいとかは我慢して当たり前・・・そんな価値観から、自分をいたわり、ねぎらい、癒し、自分の気持ちに寄り添うようになってきました。

 

もちろんある日突然、ではありません。日々の変化は、雪解けの水が一滴一滴したたるように、ごくわずかなものです。ゆっくりと、少しずつ、少しずつ。行っては戻り、戻っては行って。けれど、それはゆで卵の殻をむくように、確実に少しずつヒビが入っていき、ある日振り返ってみると大きな変化に気づくのです。

 

 

さて、そのようなベクトルの変化は何をもたらすのでしょうか。

私の場合は、寂しさや悲しさといったネガティブな感情がなくなったり、スーパーマンのようにいろいろできる人になったりするわけではありませんでした。ベクトルが変わる前は、そうなりたいと思っていたので、残念なことではありましたが。

 

その代わりに寂しさや悲しさを感じる自分や、どうしようもなくダメダメな自分や、うまくいかない自分に寄り添うことができるようになりました。

 

そうだよね。

寂しいよね。

そんなときもあるよね。

うまくいかないかもしれんど、ようやってるよ。

 

ネガティブな自分もいい。ダメな自分でも大丈夫。オールジャンルの自分、OK。

 

一昨日のこちら

信じることは実現する - 【割烹おおさき】へようこそ

の言の葉でご紹介した歌の歌詞のように。

 

You'll never walk alone.

そんなときもあるさね。けれど、私がついてるから大丈夫だよ、私。

 

そんな風に、自分が自分の最大の味方になれるようになってきたのですね。

 

 

一見するとただのアホのようですが、どんなダメな自分もOKという自己承認は、外界に投影されます。自分の周りの近しい人のどんな姿も、それを受け入れて、認めて、OKを出せるようになるのです。

 

これは不思議なことですが、同時進行で起こります。自分自身に寄り添い、傷を癒していくと、周りの人の傷が見えるようになり、癒せるようになるのですね。この順番は不可逆で、傷付いた状態で周りを助けようとしても共倒れになってしまうようです。

 

 

今日の言の葉の息子もそうでした。

 

あれができない、これができない、だからダメなんだ。

周りと比較して自分を否定する息子に、オールOKを出すことができるようになったのですね。そのままのあなたで大丈夫だから、と。

 

先週久しぶりに息子を保育園にお迎えに行ったところ、積み木とレールを使って壮大な路線を組み上げて電車を走らせていました。保育士の先生から「すごい。てんさいだねー!」と褒められ、ニタニタしておりました。リズムもおかたづけも苦手なことは変わらないようですが、もうそれで自分を否定することは少なくなったように私には見えます。

 

 

私たちは自分自身を扱っているやり方で、社会や周りの他人やパートナーから扱われる、という話があります。

 

自分を無条件で認め、許し、承認し、愛することができると、

 

次第に他人を無条件で認め、許し、承認し、愛することができるようになり、

 

最終的には、他人から無条件で認められ、許され、承認され、愛されるようになるのでしょう。

 

その逆も然りです。

 

 

自分に寄り添う。

自分を愛する。

自分を許す。

 

いろんなところで聞かれる台詞ですが、本当にそれは世界を一変させる力を持っています。

 

今日はぜひ一杯傾けながら、ご自身の頭をなでなでしてあげてください。

おつかれさん、ようやってるな、そのままでいいよ、と。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。