しとしとと降る秋雨が続いて肌寒いですね。
袖の丈や羽織るものに迷う季節ですが、これだけ秋雨が続くと、ご機嫌なおてんとさまが恋しくなりますね。
いっぽうで食材の方は豊富な種類が出回ってきて、食べる楽しみが広がりますね。
この時期の食材の王道・松茸も、九州・四国のものから近畿のものが入るようになりました。これもまた季節の新そばとあわせた一品をどうぞ。
京都もいいですね。
紅葉にはまだ早いですが、また訪れたいものです。
・・・あ、そうでした、昨日の言葉のとおり、何も目的がないのが豊かさでしたね。
せっかくなので、今日も引き続きそんな旅情に寄せた言葉をどうぞ。
軽井沢ロスに寄せて。
根が貧乏性の私は、スケジュール帳が黒くなっているとなぜか安心する。
そしてその与えられたタスクをこなしていくことに達成感や充実感を覚えることも確かにある。
旅に出る際にも事前にいろんな情報を調べ、行くところを決めて、交通手段を決めて、食事を決めて、無駄なく観光するために時間配分をして・・・
ということをよくする。
今回も旅に出ることを決めてから、諸々調べ始めた。けれども、途中から億劫になって、出発時間と交通手段を決めたところで、それ以上のことを調べることをやめてしまった。
当然、いろいろ調べて旅を充実させないともったいない!とか、せっかく行くんだから!とか、諸々の貧乏性や怖れみたいなものはぷつぷつと湧いてはきたけれど、日が近づくにつれ、それはなぜか確信めいた旅情に変わっていった。
なにもしないことをしに行こう。
旅から戻り現実に戻ると、クリストファー・ロビンが100エーカーの森を去るとき、プーと交わす感動的な会話がふと思い出された。
「ぼくが一番したいことは、何もしないことだ」
と話すロビンに対して、「どうやって何もしないの?」とプーはしばらく考えてから 尋ねる。
「そうだね、ちょっとそれをしに出かけようとしているときに誰かが、『何をするの、クリストファー・ロビン?』と声をかけて、『いや、べつに何も。』と言って、それをしに行く。」
「ああ、分かった。」
「今ぼくたちがしていることが、『それ』みたいな感じだよ。」
「ああ、分かった。ただ出かけていって、聞こえないものに耳を傾けて、煩わせないということだね。」
「ああ、プー。」
ロビンの言うところの「王さま」とか「因数」とか「ヨーロッパ」とよばれるものを知るにつけ、子ども時代に許された「なにもしないこと」をすることができなくなる。
ロビンやプーや仲間たちがしていたように、勘違いから生まれた架空の動物を追いかけたり、川に木の部を投げて誰の棒が一番早く流れるかを競ったり。
旅をする理由の一つには、そんな「いや、べつに何も。」をしに出ることがあるのかもしれない。誰の心の奥底にも眠っている、ロビンとプーが再会を誓った「ギャレオンくぼ地」を訪れるために。
過ぎ行く日々を一所懸命に生きたら、またそんな時間を持とう。失ったと思い込んでいた、童心に水をあげに行こう。
2017.9.12
くまのプーさんというとディズニーのアニメが思い浮かびますし、私は初期のディズニー映画のプーさんの声(英語も、日本語吹き替えも両方)がトボけたおっさんの声で大好きです。
いっぽうで「クラシック・プー」の名前でA・A・ミルンの原作の絵本のイラストを目にする機会も多くなりました。そのE・H・シェパードによる挿絵は、ディズニー映画の愛らしいフォルムとは違って、線の暖かさがまた味わい深いものがあります。
さて今日の言葉の中の、クリストファー・ロビンとの「なにもしないこと」についての対話。原作の絵本の最終話、「プー横丁にたった家」でプーとロビンが交わす会話の一部です。
読んだことのない方にはネタバレになってしまいますので、そっと閉じてくださいね。
お話ししても、よろしいでしょうか?
・・・ありがとうございます、それでは続けますね。
「プー横丁にたった家」では、ロビンが魔法の森を去らなくてはならなくなった場面が描かれます。なぜ行ってしまうのか、明確な理由は語られないのですが、森の仲間たちはみなそうなんだ、ということが分かっています。
皆でお別れ会をした後に、ロビンとプーが二人きりで会話をする場面が、今日の言の葉の内容です。この会話の流れの後に、ロビンはプーに言います。
「ぼく、もう何もしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ」
ロビンが魔法の森で遊ぶ時代は終わりを告げ、学校に通い、「王さま」や「因数」や「ヨーロッパ」について学ぶようになったり、自らの力で何かを成し遂げたり、挑戦したりするようになったのかもしれません。
だから、何もしないでは、いられなくなった。
私たちはある意味で保護されて閉鎖された世界で、夢想とともに生きていた幼少期から、大きくなるにつれて徐々に現実を学び始めます。自立を進めるという表現も当てはまりますね。そこで自ら世界を変える知識と力を得るようになりますが、同時に「何もしなくてもよかった」、「勘違いから生まれた架空の動物を日がな追いかけていてよかった」時間を同時に失います。
「ギャレオンくぼ地」でロビンはプーにこう聞きます。
「プー、ぼくのこと忘れないって約束しておくれよ。ぼくが百になっても。」
魔法の森を去ろうとするロビンは、きっと自らの精神的な故郷がこの場所であることを直感的に分かっていたように見えます。それは物理的な故郷でもなく、また生きている人でもなく、自らの心の奥底に眠る絶対安全な領域なのでしょう。
私たちにとっても、「ギャレオンくぼ地」が必ずありますね。
たしかに、もう昔たくさん遊んだ原っぱや、神社や、駄菓子屋は形を変えたりなくなったりしているかもしれません。幼い頃に夢中になって一緒に遊んだ友人は、もう引っ越していないのかもしれません。ずっとたくさん愛してくれた父や母や、おじいちゃん、おばあちゃん、面倒を見てくれた近所のおばさん、おじさんも、引っ越していたり、あるいは亡くなったりしているかもしれません。
たとえそうであっても、ロビンとプーのような思い出の地が、きっと誰の心の奥底にも眠っています。それは、人の愛がこんこんと湧く場所でもあります。
もしも、大空を飛ぶことに疲れてしまったら、どこまでもこの先の道が遠く感じられたら、あるいはその手に余る荷物を持ってしまったと感じたりしたら、
そのときは、何もしない時間を過ごす旅にでるのもいいかもしれません。
ゆっくりと湯に浸かって、身体の芯まで温まると、そんな「ギャレオンくぼ地」とふたたびつながることもあるでしょう。
やはり、旅はいいですね。
今日もお越し下しまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。