【割烹おおさき】へようこそ

ようこそお越しくださいました。当店の言の葉で、どうぞごゆっくりお楽しみください。

受け取ること、与えること

いらっしゃいませ。

 

・・・え?これを私に、ですか。それはそれは、お気遣い頂きありがとうございます。お土産のようですが、どちらに行かれたのですか?


・・・左様ですか、それはきっとよい旅だったのでしょうね。

 

それでは、せっかくお気遣い頂きましたので、今日は一層腕を振るって・・・と申し上げるべきところかもしれませんが、ありがたくお気持ちを受け取らせて頂いて、普段通りお楽しみ頂ければと存じます。

 

今日はそんな受け取ること、についての言の葉はいかがでしょう。


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ご恩と奉公。
または恩の返し方について。

 

末っ子長男の気質なのか、私はよく面倒を見てもらったり、奢られたり、何かを頂いたりすることがあった気がする。振り返ると、なぜか年下よりも年上の方と接する方が多くて、楽だった。

 

以前は恐縮してしまい、受けたご恩をすぐご本人に同じだけお返ししないといけないという観念があった。それは嫌われたくないという怖れであったり、そんなことしてもらう価値なんて自分にはないという無価値観からきていた。受け取り下手。

 

けれど葉山で「愛情を受け取ることが人生を豊かにする。というか、いい加減に目の前のギフトを受け取りやがれコノヤロー」と気付かされて、徐々にではあるけれどその観念を緩めることができてきた。

 

受けたご恩は、別に頂いたご本人に必ずしも返さなくてもいい。
むしろ、変な義務感や強迫観念からお返しをするくらいなら、

 

あざーっす!
また誘ってほしいっす!

 

ってニコニコ楽しんでる方が、よっぽど相手に喜んでもらえる。

 

そこでチャージしたワクワクを、次の機会に今度は私がどこかで与えられれば、
それでいいような気がしている。それは頂いた本人でなくていいい。

ニコニコした笑顔を周りに与えるのもそうだし、すげぇ美味しいもの見つけて顔が浮かんだから送るね!とか、ワクワクを循環させることができたら最高。

 

そうしてると、与えるときに相手の反応が全く気にならなくなって、今度は与える怖れがなくなる。喜んでもらえらたラッキーだし、そもそも与えた時点で満たされる。

 

度量の大きい方が奢る時によく言われること。

 

「返さんでええから、次に後輩なり部下なりに奢ってやってなー」

ようやくそれって本当だなー、と感心している。

 

きっとこれまで私の世話を焼いてくれた方の度量の大きさは、与え上手、受け取り上手と同義なんだろうな、と。

 

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2017.7.31
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受け取ることと与えることは、対義語のようで、実は同義語です。

 

お土産を与えることは、与えさせてもらうこと。
お土産を受け取ることは、受け取ってあげること。

 

お土産を愛情や感謝と言い換えても同じですね。

 

何かがうまくいかないと感じたり、停滞したりするときには、そのやり方にこだわり過ぎていることがあります。そんなときは、意識が向いている方向の逆にヒントがあるのかもしれません。

 

押してもダメなら・・・どうします?更に押しましょうか??

 

与えることに意識が向き過ぎているときは、そこにあるものを受け取ることを。

受け取ることに意識が向き過ぎているときは、自ら与えることを。
 

今日の言の葉ですと、私は受け取り下手だったのですね。受け取り下手だったのは、自分は与えてもらうほど価値がないという無価値観であったり、同じだけのものをお返ししないと嫌われるという怖れから、だったように思います。そして、何より何事も自分ですべてやらないといけない、といった自立をこじらせていたから、というのもあります。

 

私はきょうだいの中で末っ子長男で育ちましたので、周りが何とかしてくれる、いるだけで周りを和ませる「ポジティブな依存」の気質がありました。「ポジティブ依存」はその反面、いじめられっ子やスケープゴートになりやすいという面もあるのですが、振り返ってみると私自身よく当てはまります。

 

それが様々な問題を経験するうちに、マトリックスの正反対の「ネガティブ自立」に傾きました。完璧主義、責任感、何でも自分でコントロールしたがる。その反面、仕事の上では綿密な進め方ができるし、管理者や参謀のような立場では有能だったのかもしれません。


けれどそれをこじらせすぎると、周りの愛情や助けを全く受け取れなくなりますね。受け取ることが出来ないと、循環しないために与えることもできなくなります。

 

私の人生が循環し出したのは、少しずつ「受け取ること」をできるようになったからです。

 

それは、自分の周りの素敵な人たちの好意を、「ありがとう」とニッコリ受け取るようにすること。そんなに難しく考えることはなくて、周りの人たちは私が喜ぶことが嬉しいんだから、与えようとしているんだと気づくこと。私には与えてもらう価値があると降参すること。すべての言葉が自分への愛情からくるという前提を持つこと。

 

そんな風に受け取ることに意識が向くようになると、とても楽になりました。

 

そしてきっとそれは、

 

今、そこに綺麗な空が広がっていること。
しとしとと屋根をたたく雨の音があること。
季節の食べものを味わうこと。

 

というような、いまそこにある奇跡を見つけることと同じでした。
以前お出しした言の葉の「細部を見つめる」ことも同じなのかもしれませんね。

 

受け取ることは、与えること。
与えることは、受け取ること。

 

いまお客さまは与えること、受け取ることのどちらに重きを置いておられますか?

もし以前の私のようにバランスを崩しているようでしたら、反対側に目を向けることがヒントになるのかもしれません。今までやってきたことの反対をするのは、とても勇気が要ることですが、目を向けるだけでも十分です。


どうぞごゆっくりお過ごしください。
よい週末を。