【割烹おおさき】へようこそ

ようこそお越しくださいました。当店の言の葉で、どうぞごゆっくりお楽しみください。

角筈にて

今夜も風は涼しく鈴虫の音が聴こえ、本格的に秋の訪れを感じますね。

 

秋の夜長とは申しますが、秋が訪れると不思議と何か感傷的な気分になります。読書の秋、芸術の秋とはよく言ったものです。

 

太古の昔から、人は日の射す時間が短くなり夕闇の時間が長くなると、もの思いに耽るものだったのでしょうか。やはり人の想像力というのは明るさよりは暗闇に喚起されるように思います。

 

さて今日はそんな秋の夜長に合う書籍の言の葉を。

 

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浅田次郎さんの「鉄道員」。

 

ご存じのとおり、直木賞受賞作。かく言う私も、浅田次郎さんの小説に触れたのは「鉄道員」からだった。

 

その後、「プリズンホテル」や「きんぴか」、「天国までの100マイル」など個人的なツボに嵌る名作にも出会ったが、やはり「鉄道員」は趣深い。8編の短編が切り取る主題は、それぞれが異なる読み手の心の琴線に触れる。

 

どれに最も惹かれるかと問われたら、迷わず「角筈にて」と私は答える。主題は仕事、親、喪失、罪悪感、手放し、になるか。

 

興味深いのは、後記で著者ご本人が「角筈にて」を書いた当時は、「蒼穹の昴」が直木賞に落選した失意の中で、締め切りに追われて書いたもので、こんなものしか書けなかった、と思っていたことだ。

 

時を経て、「その時にしか書けないもの」だという認識に変遷していったそうだが、作り手と受け手のこのギャップは浅田次郎さんのような当代の名人をしてそうなのか、と不思議思える。

 

何を書いたか

何を言ったか

 

よりも、

 

どう在ったか

どのように在ったのか

 

というバックボーンが人の心を動かす。何をするにも、いつも問われるのは「在り方」。

 

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2017..7.26

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私たちはいつも、何を言ったか、何を書いたか、何を伝えたか、ということを大切にします。

 

周りに対して、

放たれた言葉、書いた文章、伝えたい内容。

 

いつもそれを考え、気にして、心配しているのが常になりがちです。

 

ところがコミュニケーションの最もスリリングで、かつ最も恐ろしい一面として、それらの言葉や文章は、放たれた瞬間に私(主体、話し手)の手を離れ、相手(客体、受け手)のどのような解釈も許してしまうという面があります。

 

「もう、いい加減にしてよ」

 

たとえばこの10文字の短いセンテンスは、主体と客体がどのようなシチュエーションで、どのようなイントネーションで、言葉にしたのかメールのように書かれたものだったなのか、そして主体と客体がどのような関係なのか、によって、

 

迷惑を被っているのか

愛情表現なのか

憤慨を表しているのか

はたまた自分への叱責なのか

 

千差万別の意味を持ちます。

そして、その意味を決めるのは「受け手」であるということ。「話し手」がどのような意図を持って発しようとも、最終的にそのコミュニケーションの意味を決めるのは、必ず「受け手」です。

 

コミュニケーションは、「何を伝えたか」ではなくて、「どう受け取られたか」が全てです。考えてみれば当然の帰結なのですが、その話し手と受け手の決定的な断絶はときにわれわれを慄然とさせます。

 

 

ところが、言ったこと、書いたこと、伝えた(と思っていた)ことよりも、必ず受け手に伝わるものがあります。それが今日の言の葉にある、話し手の「在り方」です。言い換えると、それは「感情」なのかもしれません。

 

どんな美辞麗句を並べて感謝と愛情を伝えたと思っても、心の底で受け手に怒っていたり、蔑んでいたりすれば、必ずそのように伝わります。反対に、どんなぶっきらぼうな言葉だったとしても、心の深いところに受け手への信頼と愛情があれば、このツンデレさん!と受け取られるでしょう。

 

 

そう思うと、もう受け手にはダダ漏れにバレているんだから、われわれがコミュニケーションでできることと言えば、何を言おうか、伝えようか、頭を悩ますことよりも、自らの心の正直な気持ちを整えておくことくらいなのかもしれません。

 

 

さて、浅田次郎さん。

角筈にて」の中のこの亡き父の幻と再会した主人公の会話から、受け手は何を感じるでしょうか。

 

「おまえに、話があるんだが。聞いてくれるか」

「うん、聞かせてよ。ぼく、ぜったいに泣いたり怒ったりしないから、おとうさんの考えていること、みんな聞かせてよ」

 手の届くほどに近寄って、父は肯いた。背丈はちょうど同じほどだ。

「おとうさんはいま、大変なんだ」

「うん、わかってる」

「おかあさんに死なれて、会社もだめになって、もう東京にはいられなくなった。遠くに行かなければならないんだが、小さなおまえを連れて行くわけにはいかない。それに――あのおねえちゃんも、おまえと一緒じゃいやだって言うし」

 父は、子供と女を秤にかけたのだろうか。いや、それはちがうだろう。子供の幸福のために、父はその方法を選んだに違いない。表情は苦渋に満ちていたが、瞳はやさしかった。

 父はきっぱりと言った。

「恭ちゃん。すまないけど、おとうさんはおまえを捨てる」

 この一言だけを聞きたかった。恭一は背広の袖を目がしらに当てて泣いた。

 父の手が肩に触れた。声を上げて泣きながら、恭一は生まれて初めて愚痴を言った。

 

 

浅田次郎さんの書く家族の喪失とその統合は、いつ読んでも落涙してしまいます。

 

それはこの「角筈にて」の話がほぼ実体験だと語る、浅田さんの在り方から来ているものだと思っています。

 

 

秋の夜長です。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

宝塚記念 雑感

気持ちのいい秋晴れの週末ですね。

朝の清々しい風を浴びるのも、夜の透き通った空気も気持ちがいいものです。

 

そういえば、まだお仕事をお伺いしておりませんでした。

・・・左様でございますか。それは素敵なお仕事ですね。

 

世の中には本当に多くのお仕事がございますね。

仕事は与えることとは申しますが、誰かの仕事が誰かの役に立っている、奇跡のようなことが起きるのが仕事ですね。

 

今日はそんな言の葉を、日曜日につきお馬さんに寄せて。

 

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杉本 清氏。

関西テレビアナウンサー。

 

「杉本節」、「実況詩人」、「関西競馬実況の神様」とも称された競馬実況で人気を博した。私が競馬中継を見始めた頃、関西圏G1の実況は杉本アナだった。

 

著書で「咄嗟に思いついたものが多い」と書かれていたが、時代の名馬たちを彩ったフレーズは、今もそのレースの記憶を鮮やかに蘇らせる。

 

「菊の季節に桜が満開!サクラスターオーです!」

 

「わずかに内オグリキャップか!バンブーメモリーか!負けられない南井克己!譲れない武豊!」

 

「大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!」

 

「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!」

 

「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!10年ぶり、10年ぶりの3冠馬ナリタブライアン!」

 

 

そして1999年の宝塚記念の実況。

 

「今年もまたあなたの夢が、そして私の夢が走ります。私の夢はサイレンススズカです。」

 

前年の同レースを圧勝。その後天皇賞・秋で競争中に故障を発生し、鬼籍に入った当馬への弔意と慕情と敬意と。

 

実況にアナウンサーの私情を挟んではいけない。ましてレースに出ていない馬の名前を実況に入れるなど・・・

 

そんな暗黙のルールなど、何のその。あふれる愛があれば、そんな常識はひょいと飛び越えられる。

 

好きで好きで仕方がないことを仕事にするって、素晴らしい。

仕事が好きで好きで仕方がないって、素敵だ。

 

第58回、宝塚記念

今年もあなたの、そして私の夢が走ります。

 

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2017.6.25

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ある話では、いま小学校の低学年の子どもたちは、これから15年後にその半数が、今現在には無い職業に就く可能性が高いそうです。今ある職業は、AIなどのコンピューターにとって替わられて、われわれ人間は今無い職業に就くということだそうですが、15年後というと、結構近い未来ですね。

 

15年後や半数という数の真偽は別として、これからの世代の方が新しい職業を生み出し、それに就くということは間違いのないことのように思えます。今現在にしても、過去では考えられなかったことを仕事にされている方は多くいらっしゃいます。

 

蒸気機関の発明が飛脚という仕事を過去のものにしたり、あるいは通信手段の発達が電話交換手という仕事を生み出したり、テクノロジーの進歩がそれを加速させているのだとは思いますが、決定的だったのはインターネットのように思います。それは時間と空間の概念を破壊しただけではなく、権威としての情報をフローさせ、表現者と観客の境界をなくしました。私もその恩恵でこうして情報発信をさせて頂いています。

 

 

さてそのような大変な時代に、鍵になるのはやはり「好き」なことのように思えます。

 

もしかすると、競馬実況もテクノロジーの発展によりAIに取っ替わられるかもしれません。すでに文字ではなく音声で実況する競馬ゲームも巷には出ています。

 

AIBOやPepperの例を引くまでもなく、人間特有の能力と思われていた会話にしても、AIとビッグデータの集積は飛躍的なテクノロジーの発達を急速に促し、人間と機械の領域を曖昧にしていきます。アニメやドラマのキャラクターとパーソナルな会話をしたり、繁華街の飲み屋でAIのおネエちゃんを相手にクダを巻く未来はそう遠くないのかもしれません。

 

けれど、仮に競馬実況がAIに取って替わられたとしても、私はお金を払ってでも杉本アナのような方の実況を聴きたいと思います。ときに不正確であったとしても、「競馬が好き」という熱量に共感するからです。

 

かつてスコットランドに生を受けた哲学者・経済学者のアダム・スミスは、経済主体が自らの利益を最大化しようとする行動こそが、結果的に全体の利益になることを「神の見えざる手」と称しました。同じように、独立した各々の個が好きなことを追及すること、それは結果的に社会全体にとって有益なことのように思えます。

 

 

今日は少し話が大きくなり過ぎました。

まずは自分の「好きなこと」を見つめること、からでしょうか。私はこうして書くこと、お酒と美味しいもの、人のココロ、お馬さんが好きですので、日々それを綴っていければと思っております。

 

 

実は、今日で開店1ヶ月を迎えることができました。

ひとえにご縁があってアクセスして頂けるお客さまのおかげです。

深く御礼申しあげます。誠にありがとうございます。

 

勝手ながら、もし差し支えなければご要望やご感想などコメント頂けますと幸いです。今後の励みにさせて頂きます。

 

 

どうぞ、本日もごゆっくりお過ごしください。

多度山に寄せて

今日は秋分の日ですね。

日中もずいぶんと秋らしくなって、海のもの、山のもの、里のもの、いろんな食べものが出てきます。

 

今日は鱧がいいの入っています。7月頃の「はしりの鱧」も生命力に満ちあふれて美味しいのですが、この時期の「落ち鱧」もまた脂がたっぷりと乗って、格別です。おすすめは松茸と一緒に小鍋で。玉ねぎと煮て甘みを出し、豆腐に旨味を吸わせて・・・

 

そして、行楽が楽しめる季節でもありますね。

 

さて今日はそんな行楽についての言の葉を。

 

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久しぶりに登った多度山に寄せて。

 

登ったといっても、標高400mちょっとでは、ハイキングと表現した方が的確かもしれないけれど。

 

遥かな水平線を見ていると心が解放され、癒されていく女性的な海と比べて、山はその男性的なエネルギーで内省と深耕を与えてくれる。

 

時折ウグイスの歌声が聴こえる以外は、静かな山道。ひとり、一歩一歩踏みしめるたびに、内面の意識はどこか遠いところで万華鏡のように移ろい、浮かんでは消えていく。

 

シダ科と思われる植物は前日の雨に喜んでいた。シダはこんな風に新芽を出すとは、知らなかった。

 

林立する杉はどこまでもまっすぐで、その放たれた直線のエネルギーにしばし目を閉じてみる。

 

ふとあまり見かけない青いトンボが青いトンボが小枝に止まっていた。

 

投稿のネタ仕込に余念がない私は、バッテリーの減りが極端に早くなったiPhoneを片手に、その美しい羽根を撮ろうとしたが、近づくと飛び立ってしまう。

 

けれどそのトンボはなぜか山道を先導し。視界から消えそうになると小枝に葉に止まり、私を待っていた。

 

iPhoneを向けると飛び立ち、先導してくれ、また飛び立ち。

 

そんな鬼ごっこをしばし繰り返した後、トンボは道を外れて飛んで行ってしまった。

 

もう、大丈夫だね。

 

そう、去り際に言われた気がした。

あのトンボは誰だったのだろう。

 

立ち尽くしてそんなことを考えていた私に、こんにちは、とすれ違う登山客が声をかけた。

 

こんにちは。

 

やはり、ひとりではない。

ずっと、ひとりではなかった。

 

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2017.6.9

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三重県の多度山。

麓の多度大社で例年5月に行われる「上げ馬神事」が有名ですね。

 

電車でのアクセスは、名古屋駅からJRもしくは近鉄で桑名駅まで。そこから養老鉄道多度駅へ。桑名駅から多度駅へは15分ほどですが、この養老鉄道、風景も車両も風情があって旅情に誘われることと思います。

 

さて多度山に登ったのは、一枚の写真がきっかけでした。

 

小学生だった私が、どこかの山の頂上で母親と撮った写真。

くせ毛たれ目の小さな私と、笑顔の母親。

その写真の場所を探して。

 

30年近く前に登った山がどこだったのか、おぼろげにも覚えていませんでした。子どもの頃に多度山に登ったという記憶を頼りに、登ってみることにしました。

 

しかし残念ながらハイキングコースを一周する中では、写真と同じ風景は見当たりませんでした。もしかしたら違うコースだったのかもしれませんし、はたまた違う山だったのかもしれません。

 

途中で出会ったあの青いトンボは、誰だったのでしょうか。

今になっても、ふとそんなことを考えてしまいます。

 

当初の目的は達成できなくても、多度山は素晴らしかったです。

 

 

さて、お客さまはどこかにお出かけされるご予定はございますか。

 

・・・左様でございますか、それは何よりです。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

ずっとずっと寂しかった。

少し風が出てきましたね。

一昨日の新月の暗い夜から、湿っぽい言の葉が続きました。

 

もう少しだけ、マリアナ海溝に寄せた言の葉にお付き合いください。

 

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大丈夫だよ。

あなたは生きているだけで価値がある。

何にも悪くないよ。

何にも怖がることないよ。

 

サルベージした22歳頃の自分に、またそんな言葉をかけていたら、ふと、もっと昔のイメージが浮かんだ。

 

ーーー

 

ぽこん、ぽこん。

 

あれは、小学生くらいのときの壁当ての音だ。私の家は共働きだったが祖母が近くにいたため、鍵っ子ではなかった。学校から帰った私は、いつも家の前の壁に野球のボールを投げては、跳ね返るボールを取っていた。壁に縦の長方形を9分割した模様があり、ちょうど野球のストライクゾーンに見立てて。

 

妄想の中で、私は当時の小松辰雄さんになって先発マウンドに上がったし、郭源治さんになって9回裏のピンチに登板したりしていた。時に漫画の主人公になって、ライバルたちを抑えた。毎日毎日、日が暮れるまで延々と、延々と。投げては取って、取っては投げて。

 

なぜだろう。楽しかった記憶と同時に、寂しさを思い出す。

 

なぜあんなにも飽きもせず一人壁当てをしていたのだろう。

思い返すと、当時から私は複数人用のボードゲームを一人で遊ぶような子どもだった。ボールの壁当ても、一人。ボードゲームも、一人。

一人遊びは好きだったのだろうけれど、一緒に遊ぶ友だちはすくなかったような気がする。私の心の枯渇している部分の孤独や寂しさは、思ったよりずっと昔から抱えていたのかもしれない。

 

一緒に遊ぼう!と外界にアプローチするのが怖かったのかな。キャッチボールする相手がいなくて寂しくなかったのかな。イメージの中の小さな自分に聞いてみると、一度草野球に入れてもらったら、みんな少年野球に入っている中、一人とても下手で周りにからかわれ、なじられ、怖くて嫌になったと言っていた。

 

そんなこと、言われて久しぶりに思い出したよ。

ずっとずっと寂しかったんだね、君は。

 

大丈夫だよ。

誰が何を言おうとも、君が好きなことを誇っていい。

空振りしていい。エラーしていい。

壁当てを好きなだけしたらいい。

一人でボードゲームをするのも、何も恥じることはない。

 

本当だとも、僕が味方だ。

 

だから楽しければ壁当てすればいいし、寂しければいーれーて!って、その人懐っこい笑顔で校庭に走っていけばいい。エラーしたって、三振したって、笑えばいい。

 

それを聞くと、くせ毛のたれ目をした小さな私はとまどいながら、

 

へたなのはいやなんだ。

はずかしいから。

みんなにめいわくをかける。

でも、ほんとはみんなであそびたいな。

 

と答えた。

多分、きっと、それは本心なんだろう。

それでも、小さな私は少しはにかみながら、どこかに走っていった。壁当てに行ったのか、ボードゲームを取りに行ったのか、校庭に行ったのかは、分からない。

 

 

ぽこん、ぽこん。

 

 

あの場所から始めればいい。

 

何度でも。

何度でも。

何度でも、何度でも。

 

大人になった私は、同じようにこうして日々ぽこん、ぽこんと投稿するようになった。

 

でも、今度は一人ではない。

投げただけ、ボールは返ってくる。

 

今は笑っている。

 

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2017.5.17

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振り返ってみると、私にとって長い間解決できなかった問題は、「寂しさ」だったように思います。

 

「寂しさ」とは、人間が生れ落ちた瞬間から感じ始めると言われるくらい、古い感情です。絶対的に安心できる母親の胎内から、切り離された瞬間に始まると言われる「寂しさ」。

 

私はその感情をずっと抱えてきたにもかかわらず、蓋をしてきました。

 

感情は抑圧すると、不思議とそれを感じさせる出来事が周りに起こります。

 

寂しいと感じることに蓋をすると、なお寂しさを覚える出来事が。

怒りを感じることを封じると、なぜか怒らざるをえない出来事が。

悲しみを感じることを禁じると、悲しみの琴線に触れる出来事が。

 

それは往々にして不快に感じる問題としてやってきます。一見して不快な問題なそれらは、私たちに何かを示唆してくれるギフトなのかもしれません。

 

私たちは、ある感情だけを感じなくすることはできません。寂しさ、怒り、悲しみといったネガティヴな感情を避け、感じないようにしていると、その反対の親密感や活発さ、喜びといった感情も感じられなくなります。

 

もしもそのギフトによってネガティヴな感情を感じられたなら、その反対の感情もまた多く感じられるようになり、世界はまた色鮮やかになることでしょう。

 

 

言の葉にあるように、幼少期から寂しさを持って抱えていた私は、20歳過ぎに立て続けに別離を経験しました。自覚はありませんでしたが、私は寂しいという感情を切り、極度に精神的に自立しました。

 

何でも自分でこなさないといけない。

他人を頼ってはいけない。

弱みを見せてはいけない。

失敗してはいけない。

正しくないといけない。

 

それは、新しい土地で働き始め、一人暮らしを始めた私にとって必要なものでした。

 

自立に振れると、人はなおさら感情を感じづらくなります。「寂しさ」やその他のネガティヴな感情を感じることが怖くて、それに蓋をするために自立に振れることは往々にしてあるようです。自立に振れることは、「寂しさ」がオーバーフローしていた私にとっての盾と鎧でした。

 

ただ自立に振れることは、社会生活の上ではメリットでもありました。社会人として仕事を覚えていく上では、もちろん自立していることが有利に働くことが多いです。しかし、どれだけ仕事を覚えて、周囲から評価されたとしても、自立に振れ過ぎた状態では虚しさしか残りません。

 

やがて私の周りの世界は、完全に色を失っていきました。

 

私は自覚なくも燃え尽き症候群に陥り、職を変えながらも、まだ自分に鞭打って頑張ろうとしました。

 

けれど、正しさにこだわる自立の行きつく先は競争と勝ち負けです。どこまでも善悪正誤にこだわる私は、会社、プライベート、家庭・・・対人関係の全てがうまくいかなくなりました。

 

絶望の中、奇跡のような出会いに導かれ、私は自分を癒すことを始めました。

 

別離に傷ついた心に向き合い、自分が何を感じているのかを書き出たり、自分の好きなことを思い出したり、身体を鍛えたり。

 

そんなことを始めてから、1年ほどが経った頃、極度に感情的に不安定になりました。

 

怒り、悲しみ、寂しさ、痛み、恨み、辛み、憎しみ、罪悪感、無力感、惨めさ、嫉妬、恥ずかしさ。苦しみ。

 

血しぶきのように噴き出してくるネガティヴな感情が抑えられず、通勤の車や会社のトイレでなぜか涙が止まりません。訳も分からず、ただ涙の流れるままにしていました。

 

別離から15年間、封印してきた涙だったのかもしれませんし、もうそのままでは生きられなくなった古い自分を洗い流そうとしていたのかもしれません。

 

やがて2週間ほど経ったあと、朝の通勤の車中で嗚咽とともに出てきた言の葉は、

 

 

寂しいよ

助けてほしい

 

 

でした。

 

そして、その最も奥底にある感情に気付くと、不思議なことに穏やかな安心感が芽生えました。

 

陰極まりて陽となす。

私の心の奥底にぽっかりと開いていた「寂しさ」という穴は、他人に埋めてもらうものではなく、自らが寄り添うことで埋まるものでした。

 

寂しかったんだね

大丈夫だよ

もう蓋をしたりなんかしない

一緒に感じ尽くそう

 

 

それが私の転換点でした。

 

正しさよりも、互いの笑顔を。

無理をするよりも、助けを。

虚勢を張るよりも、正直さを。

 

怖いはずの世界は、盾と鎧を脱いで裸足になっても安全な世界でした。

灰色だった世界は、鮮やかな色に満ちあふれていました。

 

そして、以前の灰色だった世界や、重かった盾と鎧や、寂しかったあの少年は、こうして人前にさらすと輝きだすのです。似たような経験をされた方には共感を頂けるかもしれませんし、今まさに不快な渦中におられる方には一つの灯りをともせるのかもしれません。

 

夜明け前が最も暗いと言われます。

 

でも大丈夫。

 

止まない雨がないように、明けない夜はありません。

 

 

長々とお付き合い頂きありがとうございます。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

続・マリアナ海溝に潜る

あ、いらっしゃいませ。

 

嬉しいですね、昨日のようなチャレンジの言の葉をお出しした翌日にご来店頂くのは、とても。

 

・・・ええ、日々チャレンジですが、昨日のように自らの暗部を晒すのは、やはり勇気が要りますね。

 

でも、この言の葉割烹を始めたきっかけ、転換点はすこしお話しさせて頂いた方がいいのかな、とも思います。

 

今日もそんな言の葉の続きを。

 

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昨日はバンジー飛ぶつもりで投稿したら、実は踏み台くらいの高さだった。やっぱり全ては自分の思い込みにすぎないんだなぁ、と。

 

たぶん、転換期だったんだと思う。

 

自分の正しさを主張して折れない。

それで周りをコントロールしたがる。

どこかで周りに対して、上から分かってないな、と。

 

でもようやく振り返ることができた。

 

もうそろそろ、窮屈じゃない?

 

それぞれがそれぞれの因果応報の中で生きてるのに、私が何を裁く権利があるの?

 

私と誰一人として同じ人はいないし、だからこそ他人と何かを共有できる一瞬があったら、それこそ一期一会の奇跡じゃないの・・・?

 

ようやくそう思えた。

 

そのためには、自分の見たくないネガティヴに思っていた面を、

 

「あなた」はそのままでいい

 

と一歩引いた外側から、そのままに認めてあげることが必要だった。

 

心ではそう感じていても、頭がそれを否定する。

 

直感はそうだと分かっていても、思考が「でも・・・」と躊躇する。

 

長年染み付いた常識が「みんなはそんなこと思ってないよ。そんなことしたら大変事になるよ?」と囁く。

 

一年半マリアナ海溝でそんな繰り返しをしてたけど、ようや腹落ちした気がする。

 

今日も読んで頂いて、ありがとうございます。

 

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2017.4.8

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今日もいろいろと書こうとしているのですが、なかなかうまくまとまりません。

 

うまくまとまらないことに意味があるのだと思いますので、また明日改めてお話しさせて頂ければと思います。

 

 

それでも、まとまったことを少しだけ。

 

私は、

 

問題は自分の魅力に気づくためのギフト。

そして、全ての問題は必ず感謝で終わる。

 

ということを信じております。

 

そして、「袖振り合うも他生の縁」とは申しますが、この割烹にご来店頂くお客さまとは何がしかの縁があるものだとも信じております。

 

もしも、そうしたご縁のあるお客さまが、今この瞬間がどうしても辛かったり、悲しかったり、寂しかったり、どうしようもなく未来が見えなかったり・・・そんなときにふと暖簾をくぐっていただける、そんな言の葉をお出しできる割烹になれましたら、こんな幸いなことはありません。

 

 

人が他人にしてあげたいと思うことほど、実は自分にしてあげたいことなのだ、とはよく聞く話ですが、それに即してみると、実は当店の言の葉は全て私自身へのものなのかもしれません。

 

 

今日もまとまりがありませんでしたが、お越し頂いたことに感謝申しあげます。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

マリアナ海溝に潜る

いつもご来店頂き、ありがとうございます。

 

・・・左様でございますか、お楽しみいただけているようでしたら、何よりです。言の葉割烹として、お客さまの心に留まる言の葉が見つかりましたら、それにまさる喜びはありません。

 

・・・え?私の修業時代ですか?

そうですね、ほとんどの料理人はどこかのお店で勉強されたり修業されてから、お店をオープンされますからね。

 

私も修業というわけではないのですが、こうして当店でいろんな言の葉を書くようになったきっかけのようなものはございます。

 

今日は少しそんな言の葉を。

 

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心理学の世界に触れるようになって、私が最も驚いたことの一つ。

 

「そのとき処理できなかった感情は、時間を経たとしても感じ、処理することができる。たとえ、そのときに言えなかったり、オーバーフローして感じられなかったり、気持ちに蓋をしてしまったり、したとしても、それは癒すことができる。」

 

複数の方が仰られてました。

 

その時は不可思議な印象を受けましたが、今は実感をともなっています。人の心って、すごいな、と。

 

私はようやく最近好きなことをSNSに投稿したりしていますが、ここ1年半はずっと、自分の心の中の血みどろの戦いに明け暮れていました。

 

そこでいろんな方の奇跡のような助けを借りながら、自分というマリアナ海溝の奥底に潜っていきました。

 

炸裂するネガティヴな感情に

揺さぶられ、

泣きながら、

わめきながら、

血しぶきをあげながら、

ようやくサルベージしたのは、

 

 

慣れないスーツを着て、

呆然と虚ろな眼をして、

うずくまりそうになりながらも、

ふらふらと一人灯りのない

アパートへ帰る、私。

 

感情をぶった切り、

機械のように仕事をこなし、

 周りに合わせて笑って、

必死に自分を保っていた。

皮肉にもそれで仕事上の評価は

もらえるようになったけど、

他人との距離をある一線から

縮めることはできなかった。

そうしないと生きられなかった。

 

でも、もう限界だった。

 

そんな自分を吹き飛ばしてくれる出来事に出会えました。

 

不快に感じる外界の出来事は、きっと全て本当の自分を気付かせてくれるためのダミー。

 

 大丈夫だから

 何も心配いらないから

 あなたはそのままでいい

 あなたは生きているだけで素晴らしい

 あなたはずっと愛されている

 

不惑を前にして、大切な周りの人にかけるような言葉を、そのサルベージした自分にようやくかけることができた、ちょうど1ヶ月前。

 

マリアナ海溝に潜ると決めてから、1年半が経っていました。

 

どうしても今書かないといけない気がして、自分の暗部を長々と書いてしまいました。

 

読んで頂いて、

ありがとうございます。

 

 

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2017.4.7

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この言の葉を書いているうちに思い出したこと書きたいことがたくさんあり、まとまりませんのでまた明日綴らせて頂きますね。

 

 

もし差支えなければ、お客さまもご自身を労わってみてあげてください。

 

 大丈夫だから

 何も心配いらないから

 あなたはそのままでいい

 あなたは生きているだけで素晴らしい

 あなたはずっと愛されている

 

そんな言の葉を、おやすみになる前に胸に手を当ててつぶやいて頂ければ幸いです

 

今日もお読み頂き、誠にありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

愛された場所

今日もご来店頂きありがとうございます。

 

そういえば昨日は敬老の日でした。

こうした歳時記や何かにつけて、思い出される記憶というものがありますね。家族のこと、友人のこと、大切な人のこと、何度も通った道、頑張ったイベント、愛された場所。

 

今日はそんな記憶の言の葉を。

 

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もっぱらクルマよりもデンシャ派だった。

 

「シンカンセン」も「あかいめいてつとっきゅー」も、「じぇーあーる」も「かもつれっしゃ」も見られるこの「たこーえき」に、幼かった私は祖母によく連れてきてもらい、日がな一日デンシャを眺めて過ごした。

 

なぜあんなにも飽きずに眺めて過ごせたのだろう。日陰のベンチで、単行本の小説を読んで一日待っていてくれた祖母を思い出す。

 

息子は父と違ってクルマもデンシャも大好きだが、同じようにこの駅を気に入ったようだ。

 

そんなことを思い出しながら、昨晩の深酒をたたる宿酔いの午後。

 

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2017.7.29

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「たこーえき」は名古屋鉄道本線の栄生駅です。

名古屋駅に近いので、新幹線はもちろんJRもJR貨物名鉄も、いろんな電車がひっきりなしに通るため、デンシャ好きにはたまらないスポットです。

 

私はおばあちゃん子でした。

父も母も働いていましたので、学校から帰った私を迎えてくれたのはいつも祖母でした。その頃の記憶では、陽だまりの中、穏やかな表情でごぼうをささがきしている祖母と、母親の帰りを待つ風景がよく思い出されます。そうした子ども時代の記憶をたどって、思い出の場所に大人になってから訪れるのは、また子ども時代と違った情感を思い起こさせます。

 

 

受け取ること、与えること - 【割烹おおさき】へようこそ でお話ししましたが、「受け取ること」をすると、停滞していた人生が大きく動き出しました。それは子供の頃には気付かなかった、親や祖父母、周りの人の愛情に気付けるようになったからでもあります。

 

往々にして、親が与えたい愛と、子どもが求める愛の形は異なり、すれ違いが起こります。多くの人はそれで思春期、反抗期を経て親から離れて自立するのですが、成人して大人になるにつれて、「あれは親の愛情表現だったんだな・・・」と気付くことが増えてきます。

 

子どものときはお猪口くらいのものしか受け取れなくても、大人になると器が広がって、グラスやジョッキで愛情が受け取れるようになります。それは時を経るにしたがって、大人になったり仕事をしたり親になったり、いろんな立場を経験するからなのでしょう。

 

もちろん、親との関係は最もパワフルかつ難しいので、父親、母親との葛藤や苦悩を抱えておられる方もいらっしゃるかもしれません。また私のように両親を亡くしていたり、あるいは別々に暮らさざるをえなかったり、その関係は千差万別であることは確かでしょう。そのような他人には窺い知れない関係の中で、急に「受け取る」ことをしようとしても難しいことがあります。

 

そんなときは、「自分を愛してくれた人を探す」ことをすることから始めてもいいのかもしれません。

 

私たちは、誰かに愛されなければ大人になることはできません。

パンとミルクだけでは大人にはなれないのです。

 

 

飽きるまで話を聞いてくれた人。

やさしく抱っこしてくれた人。

自分の笑顔を幸せそうに見つめてくれた人。

あたたかい手をつないでくれた人。

 

 

ぜひ、そんな人たちを思い出してみてはいかがでしょうか。

できれば、私にとっての栄生駅のように、愛された場所で。

 

そうしていくうちに、もしかしたら傷ついた言葉や態度、すれ違いが、全て愛からだったのだと受け取れる瞬間がくるのかもしれません。

 

 

さて敬老の日は過ぎてしまいましたが、お客さまにとって、愛してくれた人はどなたでしょうか。その方は、どんな愛し方でお客さまに与えてくれていたでしょうか。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。