【言の葉割烹おおさき】で会いましょう

ようこそお越しくださいました。当店はココロが喜ぶ言の葉を取り揃えております。

子どもはただそこにいるだけで周りの人を癒す。きっと誰しもが昔そうだった。

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日は日曜日ですが、春のG1シリーズも中休みですので少しつれづれを。

 

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子どもは、やはりかわいいですね。

そこにいるだけで周りの人を癒します。

 

産まれたばかりの赤子はまさにそれを体現しています。

何もできなくても、何も話せなくても、

ただ笑って、ただ泣いて、

ただ遊んで、ただミルクを飲んで、

 

ただそこにいるだけで周りの人を癒します。

 

それが我が子であるとどうしても関係が近すぎる分、強烈に癒される反面、無垢な瞳に愛される怖れであったり、私がちゃんと育てないといけないというプレッシャーであったり、自分も持っていたけれど抑えてきた自由な魂を見せられて無性にイライラしたり・・・まあめんどくささも強烈なわけですが。

 

ただ、少し距離の置いて子どもたちを見ると、やはり気づかされるわけです。

 

道すがらですれ違うベビーカーに乗った赤ちゃん。

友人や親類の夫婦の子ども。

公園ではしゃぎながら遊ぶ子どもたち。

 

そんな子どもたちを目にすると、やはり癒されます。

 

彼ら、彼女らは「何かができるから」「何かが優れているから」周りに癒しをもたらすわけではありません。

 

雲梯が端から端までできるから、

因数分解ができるから、

英語の関係代名詞を理解しているから、

 

あるいは、

とてもかわいい顔をしているから、

じょうぶな身体をしているから、

かけっこが早いから、

 

周りに癒しを与えられるわけではありません。

ただ、そこにいるだけで愛を与える存在です。

 

・・・さて、実は私たちもそんな存在でした。

きっと誰にでもすっと前には、もうそこにいるだけで周りの大人を笑顔にしていた時間があったはずです。

 

それがなぜか私たちは成長する中で、どこかで「どうやったら愛されるか」を考え始めてしまうようです。

 

おかたづけをしたら、もっとおかあさんはおこらないかな

わがままいわなかったら、おとうさんはあそんでくれるかな

わたしがわらっていたら、おかあさんもわらってくれるかな

がんばってれんしゅうしたら、おとうさんはほめてくれるかな 

 

本当は、そんなこと何もしなくてもおとうさん、おかあさんはあなたがいるだけで何よりも幸せなのにね。

 

自分が子どもを持つと分かるのですが、自分の「ちゃんと育てないといけない」「しっかりとしたしつけをしないといけない」という怖れから、「これはだめ、あれはだめ、ああせえ、こうせえ」と言ってしまうのです。

突き詰めると、その「怖れ」すらも「愛」からくるものだとは思うのですが。

 

テレビに出ているあの有名人も、難しい顔をしてる上司も、確変が入ってデートをすっぽかすあのどうしようもない彼氏も、あれこれ口うるさく干渉してきて面倒な親も・・・そして、あなた自身も。

 

もともとは、生まれながらにして愛しかない存在でした。

 

名古屋は暖かい初夏の陽気のような日曜日です。

少し陽のあたるところでコーヒーでも飲みながら、そんなことを思い出してみてはいかがでしょうか。

 

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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「それでも・・・」という感覚の先には、きっと大切なものが詰まっている

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

今日は昨日に続いて、「信頼」についてもう少し綴ってみたいと思います。

 

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昨日は「信頼」と「期待」の違いについて綴らせて頂きました。

 

相手の出方によって「裏切られた」と思うのは、実は相手を「信頼」していたのではなく、「期待」を寄せていたのかもしれない。


そして「期待」とは「こうあるべき」「こうするはずだ」という相手に対する「要求」であり、実はそれは自分の心の奥底の「不足感」や「欠乏感」といった満ち足りていない想いからくる、ということですね。

 

最後にマリオとクリボーの小噺で、「期待」ではない「信頼」について描かせて頂きました。

 

マリオにとって、ほんとうの意味で「信頼」するとは「クリボーがいつの日にか改心して、マリオのもとに戻ってくることを信じて耐え抜く」こと、ではありません。


それは、「これだけ辛い思いをして耐えたのだから、クリボーは戻って来てくれるはず」という、ある種の「犠牲」や「我慢」をもとにした「期待」であり「コントロール」になります。

 

最終的にマリオがした「信頼」は、そういった「期待」ではありませんでした。

裏切りに見える相手の行為をも、共感し、理解し、ともに涙を流し、許し、手放すという、むしろ積極的で前向きな冒険でした。

 

傍から見ると、信じられないかもしれません。
あいつは頭がおかしい、と思われるかもしれません。


そんなことしても、報われないよ、と思われるかもしれません。

 

それでも相手に「信頼」を送ることができるのは、なぜでしょうか。

 

もしかしたら、マリオもクリボーの裏切りに見える行為に対して、怒りや諦め、悲しみや憎しみが湧きあがったこともあったかと思います。

 

「あの栗野郎、裏切りやがって!」
「メタメタに踏んづけてやる」
「無敵のスターマリオになって、蹴散らしてやろうか・・・」
「ファイヤーマリオで火あぶりの刑に処す!」

 

そんな想いを抱いたこともあったかもしれません。

 

誰でも、「信頼」していた相手から「裏切り」に見える行為をされたら、きっとそうなるでしょう。


そうしたときに、その感情を感じ尽すことも大切なのですが、どこかで

 

それでも・・・

 

という感覚や違和感があれば、それを大事にすることが「信頼」への第一歩かもしれません。

 

それでも。
それでも、何かひっかかる
それでも、クリボーを見捨てられない
それでも、クリボーと笑い合った日々が思い出される

 

人は葛藤します。

信じてもいいのか、それとも。

 

それでも。

 

「それでも」の先には、きっとたくさんの大切なものが詰まっています。

 

もしも名付けるとしたら、それは愛とでも呼ぶべきものなのでしょう。

 

もしもお客さまが「信頼」について考えることがありましたら、「それでも」という感覚を思い出して頂けると、少し楽になるのかもしれません。

 

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今日もお越し頂き、ありがとうございました。


よく晴れた暑いくらいの陽気の週末になりましたね。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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「信頼」と「期待」の違い ~ヒゲの配管工と裏切り者の栗野郎に寄せて

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日はココロのつれづれを。

「信頼」することと「期待」することの違いについて、懐かしいあのゲームに寄せて。

 

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愛することの反対は憎しみ・・・ではなくて無関心とはよく言われます。

では、「信頼」することの反対は何でしょうか。

 

・・・「裏切り」?

そうですね、それが一番に思い浮かびますね。

 

「アイツを信頼して大事な仕事を任せたのに、途中で放り投げやがった。裏切られたよ」

「あんなにも好きだった彼を信頼してたのに、実は第5夫人までいた・・・裏切られたわ」

「信頼していた友人に好きな人を打ち明けたら、3時間後にはyahoo!ニュースのトップに載っていた・・・裏切られた」

「どう考えても鉄の信頼を寄せるべきと思われた桜花賞のラッキーライラック、2着に負けるとは・・・裏切られるなら、3連単の頭固定にしなきゃよかった」

 

・・・はい、最後はともかく、いろんな「信頼」と「裏切り」のシチュエーションが考えられますね。

 

けれども、当店は「信頼」の反対は「裏切り」ではないと思うのです。

じゃあ何か?と問われると困りますが、「信頼しないこと」とでもなるのでしょうか。

 

ほんとうに相手を「信頼」していたら、相手の動向がどうあれ「信頼」を変えることはありません。

相手の出方によって、「信頼」にするか「裏切り」にするかを変えるのであれば、もしかしたらいつの間にかそれは「期待」と呼ばれるものに変わってしまっていたのかもしれません。

 

「期待」とは「こうあるべき」、「こうなるはず」というかたちを取ります。

 

「俺が信頼した部下だから、うまくやるはず」

「私が信頼した彼だから、私だけを見てくれるべき」

「信頼した友達だから、私の秘密を守ってくれるべき」

「信頼したラッキーライラックだから、私の予想通りアタマで来るはず」

 

・・・別に桜花賞を外してラッキーライラックに恨みがあるわけではありませんが、そんな「べき」「はず」が「期待」の中にはひそんでいます。

 

さらにもう一つその「べき」「はず」を掘ってみると、実はそれは「要求」であることがわかります。

 

「こうなってほしい」「こうあってほしい」、という「要求」。

私たちが「信頼」していると思っているのものは、こうした「要求」が形を変えたものであることが往々にしてあります。

 

パートナーとの関係、親子関係など、関係が近くなるほどに顕著ですね。

 

そしてこうした「要求」は、自らの「不足感」や「欠乏感」から来ています。

 

何かが足りない、あるいは何かが欠けているから、周りをコントロールしてそれを満たそうとする。

 

多くのそうした「要求」は、幼いころに十分に満たされなかった(と実は思い込んでいるだけの)親からの愛情を求める「不足感」「欠乏感」から生まれます。

しかし、もらえなかったと思っているものが他人から与えられることは、ありません。

 

一時的に与えられたと思って満たされたとしても、今度はもっともっと、と「要求」が大きくなっていき、お互いに苦しくなるばかりになります。

 

そのようにならないためには、やはり自分で自分を満たすことが、ほんとうの意味での「信頼」へ近づく道なのでしょう。

それは、傍から見れば裏切られても信じているというアホのように見えますが、自分が満たされていれば裏切られることはありません。

 

自分が「信頼」していることを、自分自身が「信頼」してあげること。

それができれば、裏切られることはないと思うのです。

 

・・・と、少し抽象的なお話しになってしまいましたので、ちょっと具体的な「信頼」するおはなしを。

 

スーパーマリオに出てくる「クリボー」は、もともとマリオたちのキノコ王国の純民だったのが、クッパ軍団に寝返ったという敵キャラなのですね。

単音のBGMと、水色の空とドット絵を想像しながらお読み頂ければ幸いです。

 

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「あいつはそういう栗野郎だったんだよ」

ピノキオは言い放ちます。

 

「きっと兄貴が甘やかし過ぎたからだよ」

ルイージはそう吐き捨てました。

 

1-1のしょっぱなから、どの面下げて歩いてくるんだか。

マリオも最初はそう思いました。

 

けれども、仮にも彼が栗なら、トゲゾーのようにトゲのある殻を着てくれば、俺はもっと困っていたはず。

それをしないのは、優しいクリボーにとって、きっと今の状況が苦しくて仕方ないに違いない。

 

そう思えたヒゲの配管工はクリボーを「信頼」し続けることにしました。

 

地下にもぐったり空中のアトラクションだったり、先の見えない長く厳しい冒険の旅の中でも、ヒゲの配管工はクリボーを信じることにしました。

 

そうしていくうちに、配管工の心に確たる想いが芽生え始めます。

 

「クリの奴がどのような選択をしても、俺はそれを支持する」

「俺は、今の俺にできることをしよう」

 

パックンフラワーを避けてジャンプした先に彼が待ち構えていようと、スーパーキノコがかれのもとに滑って行って取れなくても、ハンマーブロスとの激闘のさなかに彼がのさのさ歩いて来たとしても、あるいは配管工自身がファイアーマリオに変身したときでも、

 

ヒゲの配管工は変わらずクリボーを見守り続けます。

淡々と、変わらず、毎ステージ毎ステージ、「信頼」を続けます。

 

「信頼」するとは、「いつか彼の目が覚めて、ごめんなさいと謝って戻ってきてくれる」と思うことではありません。

 

ヒゲの配管工にとっての「信頼」するとは、

「あのキノコ王国一優しかったクリボーがそうしたのだから、きっと何か意味があるのだろう、と共感し、理解し、涙し、手放し、許す」という前向きな冒険だったのです。

 

8-4までやって来たヒゲの配管工には分かります。

 

「信頼」するとは、決して裏切られることはないのです。

自分の心に宿る「信頼」の灯火を絶やさぬように持ち続けている限り、裏切られることはありません。

ルイージピノキオから見れば裏切りにしか見えないクリボーの行為すらも、その灯火を持つ配管工にとっては、受け入れ、許し、理解することができます。

 

それは「犠牲」でも「我慢」でもありません。

 

冷えてカチカチになってしましたクリボーのココロに、あたたかな灯火をともす積極的な与える行為なのです。

 

 

さて、8-4をクリアし終えたマリオとクリボーがどうなったか?

 

それは、もしかしたらお客さまが大切な誰かを「信頼」することで分かるのかもしれません・・・

 

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・・・どうも、うっかり昔大好きだったスーパーマリオを思い出していたら、長くなってしましました。

なかなか二次創作も楽しいですね。

 

さて今日もお足を向けて頂きまして、ありがとうございます。

 

今日は「穀雨」、穀物に実りをもたらす雨が降り注ぐころの節気です。

その節気どおり、今週は少し雨の日が多かったですね。

そんな雨もまた実りへの恵み。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。f:id:kappou_oosaki:20180419213018j:plain

 

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道は分かれても、またいつか会える ~たくさん包装したあの日々に寄せて

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日は人のご縁シリーズ。

まさにご縁と呼ぶのがふさわしい方とのご縁に寄せて。

 

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人として魅力のある男性には、必ずその内面において情緒豊かでたおやかな女性性をたたえている。

それはまっすぐ前を向いて更新しながらも、路傍に咲く花の美しさに足を止めることができるように。

 

その逆も然りで、魅力のある女性には、推し進め先導する、まっすぐな男性性を芯に携えている。それは豊かに咲く心の花に、水をあげ過ぎて枯らさないことができるように。

 

その方もまた、そんな魅力をたたえていた。

 

話しをさせて頂く中に感じる女性性の華に人は惹きつけられ、心を開く。

仕事を進める中で垣間見える男性性の真に、人は勇気づけられていたように思う。

 

ほのかに暗かったあの倉庫兼事務所も、その方のおかげでいつも明るかった。

 

ギフトという与えることの喜びの商品は、いつも贈り手と受け手両方を幸せにすることだと思う。

それを扱う仕事に、一緒に携わらせて頂いたことに、感謝しています。

 

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2017.6.26

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贈り物というのは、贈る側も贈られる側も、両方幸せにする不思議なものです。

 

ここでよく申しあげております「与えることは受け取ること」を、ギフトというものは自然な形で教えてくれるようです。

 

その方とは、私は以前に贈り物を扱う仕事でご一緒させて頂きました。

いろんな想いが込められた贈り物を、日々たくさん扱い多くの時間をご一緒させて頂きました。

 

月日は流れ、私もその方も別々の道を歩むことになりましたが、多くの贈り物を包装したりした日々は楽しく、また懐かしく思い出される日々でした。

そして、さらに月日は流れる中で、SNSを通じて再びその方とつながることができました。

 

その方、AKIKOさん。

ameblo.jp

 

現在はジュエリーブランド「megumiharuna」のPR担当として、多くの女性を輝かせるお仕事をされておられます。

 

AKIKOさんが最近始められたクリスタルボウルのご縁で、私と共通のお知り合いの方がいらっしゃったりと、またつながってからも不思議なご縁が続いています。

 

人と人とは、あるいっとき離れることがあったとしても、 ご縁がある方とはまたつながっていくのでしょう。

そして別々に離れていたときに学んだことや、積み重ねた感情、そして出会った人・・・離れていた時間に澱のように重なったものが、再会したときに花開くのでしょう。

 

それはよく熟成されたワインのように、コルクが抜かれるときを待っているのでしょう。

 

離れても、いつかきっとまた会える。

そう思うことができれば、いっときの別れというのも、またその方とのご縁を熟成させてくれるありがたいギフトなのかもしれません。

 

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今日もお越し頂きましてありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

 

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「よもぎ餅」が教えてくれた「生きる前提」について

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

日曜日に珍しく筋トレしたおかげで、筋肉痛の店主おおさきです。

 

さてその先週末に人生初の体験がありましたので、今日はそのことについてのつれづれを綴りたいと思います。


やはり小さな先生は、私の世界を広げてくれるようでして、今回は「生きる前提」について考えされてくれました。

 

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公園で草むしりを始めた息子殿。


しばらくすると両手いっぱいの草を持って、

 

よもぎもちつくるの!
と仰る。

 

おとう、よもぎ餅なんて作ったことないぞ。
と弱気を見せるが、

 

ダメ!でんわでしらべるの!いますぐ!

 

とご教示いただき、結局ホームベーカリーで作れることを発見することができた。

天才だな、あいつ。


「分からないことがある」という前提がある私と、
「求めれば得られる」という前提を持つ息子殿。

 

やはり生物としての若さは優秀さと同義だなと、羨ましくも思う。

 


それはともかく、餡子はうまく包めずスライムのような出来上がりを見て、私にはお菓子作りのセンスはないと分かった今日のつれづれ。


2018.4.14

 

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私が草花や空といった自然の風景に興味を持ち、写真を撮るようになったのはここ1、2年のことです。


それまでは全く興味もありませんでしたし、もちろん草花の名前なども覚えたことはありませんでした。

 

また一人暮らしが長かったため、料理は多少やったことがありましたが、これまで和洋問わずお菓子づくりをした記憶はほとんどありません。

 

それが保育園の活動で野で「よもぎ」を摘んで、「よもぎもち」を作ったという息子殿に教えられました。

 

「ニラ」と間違えて野生の「スイセン」を食べて食中毒になったというニュースが頭の片隅にありまして、「ほんとによもぎか?」とネットの画像を調べてみましたが、ほんとによもぎでした。
疑ってすまなかった、息子どの笑

 

よもぎをビニール袋いっぱいに摘み、もち米と粒あんをスーパーで買って帰ります。


もち米を研いで、ザルに空けて30分ほど水を切ります。

 

摘んできたよもぎから、固そうな茎やゴミを取り除き選別します。

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よもぎを軽く湯がいて冷水にさらしてアクを抜いたあと、フードプロセッサーでペースト状にします。

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ホームベーカリーにもち米と指定量の水を入れて、スイッチオン。


もち米が炊けたらフタを開け、ペーストにしたよもぎと少量の塩を少しずつ加えて出来上がり。

 

あとはこねるなり、餡子を包むなり、お好きなように・・・なのですが、まったくインスタバエのしない仕上がりになってしまいました。f:id:kappou_oosaki:20180417210726j:plain

 

まあ見てくれはともかく、よもぎの苦みがほのかに香る、とても美味しい炊きたての「よもぎもち」を堪能することができました。

 

よもぎにしても山菜にしても、春は苦みのあるものを食べるとよいと言いますが、冬の間に溜め込んだ毒素を排出する作用があるのでしょうか。

よもぎの苦みがとても心地よい感じがしました。


・・・と、まあ人生初の「よもぎ餅づくり体験」だったのですが、本当に今の子どもは優秀だな、と思うのです。

 

もうスマートフォンにせよ、インターネットにせよ、私の世代が成長していく中で発明されたテクノロジーを、「すでにある前提」で使えるのですから。

 

調べれば今すぐに答えが分かる、という前提か、
私には知り得ない知識がある、という前提か。

 

こうした「前提」は、本当に人生に大きな影響を与えます。

 

今回のお話の例に限らず、

 

どうせ私は失敗する、のか、
私だから大丈夫、なのか。

 

人見知りだから私には友達ができない、のか、
トークが下手だろうが緊張しいだろうが私は愛される、のか。

 

もっと頑張らないと周りから認められない、のか、
私がそこいるだけで周りを幸せにしてしまう、のか。

 

私には誇れる才能は何もない、のか、
私が私でいることは世界でたった一つの才能、なのか。

 

・・・などなど。
これらは、どちらでも選べるわけです。

 

そして当然のことながら、自分で選んだ方の世界が周りに広がっていきますし、周りから与えられます。

 

どちらを選んでもいいんです。
どちらを選ぶのかは、その人次第なのです。

 

息子との昼下がりのお散歩は、そんなことを教えてくれました。

やはり、何でも若い方が優秀なようです。

 


さて、今日もお越し頂きましてありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

 

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コミュニケーションでは「何を言ったか」よりも「何を感じているか」の方が大切だ

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

今日は「言葉」と「コミュニケーション」の関係について。


他人とのコミュニケーションにおいては、何を言ったかを気にするよりも、自分の感情を正直に表現する方が円滑なコミュニケーションが取れると、最近つとに思うのです。

 

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すでに何度かお話しさせて頂いたのですが、私は当店を始めたきっかけもネットの海から見つけた「言葉」でした。


それだけに「言葉」の持つ力を信じていますし、また言葉というものの持つ美しさが好きです。

 

けれど最近感じているのは、こと他人との「コミュニケーション」においては、あまり「言葉」の力を過信しない方がいいように思うのです。

 

たとえば「メラビアンの法則」という有名な法則があります。


アメリカの心理学者、アルバート=メラニアン氏が提唱した法則で、コミュニケーションにおける様々な情報が、他人にどのような影響を及ぼすのか、という研究から提唱された法則です。

 

それによると、
話の内容などの言語情報で7%
口調や話し方、話の早さなどの聴覚情報が38%
見た目や表情、しぐさといった視覚情報が55%

である、というものです。

 

コミュニケーションに置き換えてみると、手紙やメールだと7%しか伝わらず、電話や通話アプリで話をしてようやく半分弱の45%、そして直接会って顔を見て話しをすると、100%伝えられる、と言えるかもしれません。

 

電話やメールなど便利なツールが使えるようになった今でも、やはり直接会ってお話をするのが最も有効な営業活動の一つであることも、納得ができるパーセンテージです。

 

つまり「何を言ったか」、ということは「コミュニケーション」においてはたったの7%しか過ぎず、あまり意味がないことかもしれません。

 

それよりも、私たちは口調や話し方、そして見た目や表情といった非言語情報から、9割を超える多くの情報を取得しているといえます。

 

私も含めた男性は、「結果」や「事実」、「目に見えるもの」といったものを重んじる傾向があります。


自立を深めていくと、「正しい」「間違っている」という判断やジャッジをするようになると、この傾向はさらに強くなりますね。

 

ええ、私もよくそのような思考回路に陥っていました。

あのときああ言ったはずだ、と。

 

けれど相手に伝わっているのは、残念ながら93%の方でした。
何を言ったかという内容よりも、その内面に抱えている感情が伝わっているのですね。

 

目は口ほどにものを言う、とは申しますが、とんでもない。
口よりもとてもとても雄弁に語るのが目であり、しぐさであり、また雰囲気といったものなのでしょう。

 

・・・とするならば、他人との「コミュニケーション」を円滑にするためには、まずはその内面にある感情をしっかりと自覚して感じることが大切だと、最近つとに思うのです。

 

そして、その感情を他人にぶつけたりして処理してもらわないこと。
感じてしまった感情は、自分で味わい尽くすことでしか流すことはできません。

 

それを感じた上で、

 

私は
これを
こう感じている

 

という前提で話をできると、とても円滑に「コミュニケーション」が取れるように思うのです。

 

・・・と書いていますが、とてもとても成熟性が求められるのは、言うまでもありません。


私も家族と、パートナーと、友人と、同僚や上司と、そんな「コミュニケーション」が取れるように、日々取り組んでいる最中です。

 

毎日のこと、なかなか自分が整わないうちに、「コミュニケーション」が始まってしまうといった難しいときもあります。

 

けれど「全ては自分から」、「自分を整えることから」という基準点を持っているだけでも、少し違った視点で「コミュニケーション」が取れるのではないでしょうか。

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございます。

 

早いもので、もう4月も折り返しです。
日に日に濃くなる新緑の色に、生命力の豊かさを感じる季節ですね。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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桜もツツジも、どちらの咲き方も美しい

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

今日は少し季節の花のおはなしを。

 

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名古屋ではこの週末ぐずついた天気でしたが、昨日の昼過ぎから晴れ間を見ることができました。

春の季節は黄砂の影響なのか、どこかぼんやりと霞がかったような空を見ることが多いのですが、昨日の午後は風が強かったせいか、空気も澄んで気持ちのいい青空が広がっていました。

 

風薫るとはよく言ったもので、もう春というよりは初夏の気候になってきました。

 

道すがらでも、ほんの少し前まで満開だった桜は、

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あっという間に葉桜となり、そして新緑の色を濃くしていっています。

 

そうかと思えばツツジはたくさんのつぼみを膨らませており、

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徐々にその花を咲かせていきます。

清らかな風とともにもっとも生命力の強さを感じる季節の一つが、今のように思います。

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白い花も美しいです。

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またランニングの道すがらでもさまざまな色のツツジが花を咲かせ、目を楽しませてくれます。

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自宅の前でも、こんなきれいな花が咲いていました。

少し色や形が違いますが、ツツジの仲間でしょうか。

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さてパッと咲いてあっという間に自らの花びらを散らす桜は、その咲き方が多くの人の心に響きます。

 

一方で、ツツジは自分ではその花びらを落とすことができません。

お手入れがしっかりされているところでは、咲き終えた花びらを摘む作業をされるところもあるそうです。

しかし、そのおかげでツツジの花は長く私たちの目を楽しませてくれます。

 

自らの力でその花を散らす桜と、自らは花を散らせずに周りの助けが必要なツツジ

 

どちらの咲き方も美しいと思うのです。

どちらの咲き方も人を惹きつけ、その花の魅力になっています。

 

どの個性も美しく、完璧な魅力にあふれている。

季節の移ろいに目を凝らしていると、そんなことを教えてくれるようです。

 

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少し前には紅白の花をつけていた梅も、気づけばその枝にまるまるとした青い実をつけ始めていました。

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青い梅の実には、青い空がよく映えます。

これもまた、新緑の季節しか見られない美しい風景の一つです。

 

ぜひ今日も道すがらで、この季節しか見ることのできない美しさを見つけてみましょう。

探してみると、いろいろと見つかるものです。

 

今日も世界は美しい。

 

 

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