「信頼」と「祈り」は似ています。どちらも、自分に主体性があり、裏切られることはないからです。
「祈り」とは、その対象に想いを寄せ、愛を贈ることを指します。それは、結果を期待するのではなく、非指示的なものであり、それゆえに自分自身もまた幸せを感じることができる心のはたらきです。
誰かの幸せを祈るとき、私たちはとても大きな幸せを感じることができます。「許し」や「手放し」は、その境地に私たちを導いてくれるものです。
「手放し」とは、一直線に進むのではなく、行っては戻り、戻っては行ってを繰り返しながら進んでいくものです。そうした自分の心のゆらぎを許せると、一層「手放し」は進んでいきます。
完璧主義があると、どうしても自分に完璧さを求めてしまいます。それを手放していくと、どんないびつな自分であっても、「いまの」自分を受け入れることができるようになります。
自分とつながること。自分がいま、何を感じているのか。季節の移ろいを感じることは、それに注目させてくれるようです。
自己受容の大原則は、「いまの」自分をそのままに受け入れることです。しかし、ときにそれは「甘え」に見えてしまったりするものです。そんな自己受容と「甘え」の関係について、考えてみます。