【割烹おおさき】へようこそ

ようこそお越しくださいました。当店の言の葉で、どうぞごゆっくりお楽しみください。

才能のきらめきとは遠く離れた一瞬の花火ではなく、ずっと熱を保っている熾火だ

あこがれの人って、いますでしょうか。

 

この人の才能、すごい。

こんなことできるなんて尊敬する。

あの人のように生きてみたい。

 

そんな憧れは深い分だけ、今の自分とのギャップであったり、至らなさを見つけては深い絶望を見せてくれます。

 

ただ人の才能とは、夜空を一瞬華やかに彩る花火ではなくて、ずっとそれを続けている熾火のようなものだと思うのです。そして、花火を打ち上げるのは花火師しかできないのですが、熾火は誰しもが起こせるものです。

 

一瞬のきらめきに目を奪われてしまいがちですが、それはその人の熾火のような「日常」の延長にあるのだと思います。

 

 

特段構えることなくそれを続けられるから「日常」

それはやっぱり好きなことだからこそ、続けられるのでしょう。

 

「才能とは、継続する情熱である」とはフランスの作家モーパッサンの言の葉ですが、日常に落とし込んで何年も何十年も続けられることこそが才能なのでしょう。

 

 

続けよう。

 

晴れの日も、雨の日も。

穏やかな春の日も、息の凍る冬の日も。

口笛吹きながら帰る日も、絶望の酒に沈む日も。

仲間に囲まれた日も、孤独の味を噛みしめる日も。

 

書き続けよう。

 

その先にある景色よりも、

いまこの目の前の絶景を楽しみながら。

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人生におけるタラレバは酒の肴で十分だ ~「前田の美学」に寄せて

「~していタラ」あるいは「~していレバ」は、真剣に考えると自己否定クンの格好のエサになりがちですので、酒の肴にするくらいがちょうどいいように思うのです。

なぜなら、今に至るプロセスが完璧なのですから。

 

 

もしも、あのときこうしていたら。

もし、あのことを伝えていれば。

もしも、あのことが起こらなかったら。

 

過去を振り返ると、ときにそんな想いを抱くことがあります。

 

はい、私もですね。

あの一杯を自制して帰っていれば・・・

ケチケチせずに、3連単をマルチで買っていれば・・・

慌てて出かける前にトイレに寄っていれば・・・

 

まあそんな下世話な話から、生きる上でのいろんな選択であったり、人生で起こる思いもよらぬ出来事であったり、さまざまな場面でタラレバを語りたくなります。

 

そうした空想の時間もいいのですが、「なぜそれができなかったのだろう」と自分を責める格好の材料になりやすいので、タラレバを語るのは酒席のツマミにするくらいがちょうどいいように思います。

 

 

今日は大好きなプロ野球選手に寄せた、そんな言の葉から。

 

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前田の美学

迫勝則 著

 

私が最も野球を観ていた頃、大好きだった選手、前田智徳さん。

 

いつも野球のテレビゲームで、私の組オールスターチームの3番センターは「前田智」だった。

 

かのイチロー選手をして「前田さんこそ天才」と言わしめ、落合博満さんが「プロ野球史上、最も理想的なバッティングフォーム」と称した天才打者。

 

その素顔を描いてくれる名著。

 

帯の俯いた写真は凡退の打席ではなく、なんとホームランを打った後のベースラン。結果云々よりも自分が納得できない打席に憤慨する求道者。そしてチームの勝利を優先して静かに魂を燃やす男。

 

男の子なら、誰しもがこんな漢になりたいと憧れる。

 

 

もし、あの怪我がなかったら。

もしも、彼がもう少し自らに鞭打つ厳しさを緩めていたら。

 

耳にするたびに胸が痛んだ「前田は死にました」という受け答えを、彼がすることもなかったのだろうか。

 

以前はそう思っていたが、今私はそんなタラレバを語るよりも、前田選手が歩んだ道の美しさを想う。

 

 

自分を認めて、肯定して、許して生きていってもいい。

自分に厳しく、求めて、奮い立たせて生きていってもいい。

振り返ってみれば、どちらも美しいひとそれぞれの生きざま。

 

引退されて、時おり野球中継などでリラックスした表情とコメントを見かけるにつけ、私は嬉しくなる。

 

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2017.10.31

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私は残念ながら運動神経は(人よりも少しだけ)鈍いようですが、スポーツのノンフィクションやルポが好きです。以前はスポーツ雑誌の「Number」を毎号買っていました。

 

残酷なほどに勝者と敗者が明確に分かれるスポーツにおいては、結果が全てです。しかしそこに到るまでの過程や物語に、私は惹かれます。そのあたり、よく日曜日に書いている競馬雑感につながっています。

 

あれがなかったら・・・と嘆くよりも、それがあったからこその過程と物語の美しさを見た方が楽しいですね。いつだってプロセスは誰にでも完璧に用意されているのですから。

 

そして、タラレバは酒席のツマミにするのが一番です。

 

 

「もし90年代に交流戦があったら、前田選手とパ・リーグ松坂大輔投手や斉藤和巳投手はどんな対戦を繰り広げていただろう?」

「4歳で三冠と有馬記念を制したナリタブライアンが、その年の凱旋門賞に挑戦していたら、カーネギーのあの強烈な末脚を上回れたのだろうか?」

 

 

そんなタラレバは、最高の酒の肴になりますね。

 

今日はどんなタラレバで酔いましょうか。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

いまを楽しむ ~紅葉の絶景を香嵐渓から

今日は趣向を変えて、写真メインでお届けします。

素材は「香嵐渓」、愛知県豊田市足助町にある紅葉の名所です。

 

アクセスなどはこちらが詳しいです。

 

車で名古屋方面から行く場合は153号線が大渋滞必至ですので、11号線で北へ大きく迂回するルートが紹介されています。私もそちらのルートで行ったところ、ほとんど渋滞せずに着くことができました。

 

 

それではさっそく付き出しからどうぞ。

 

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少し陽の傾いた夕方に着きましたが、鮮やかに色づいていますね。

 

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燃えるような赤い色が見事です。

 

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こうして近くで見ると、一枚一枚の葉それぞれの色が違って見飽きないです。

 

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川のせせらぎの音と、美しい紅葉。

 

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香嵐渓には「三州足助屋敷」という民俗資料館があり、かつての農家の暮らしを再現しており手仕事の体験もできます。小学生のときに遠足か何かで訪れたことを思い出して、ほっこりしました。

 

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藁が干してあったり、昔の里山の暮らしが再現されています。

 

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牛さんこんにちは。

 

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母屋にこんな素敵な庵があったので、暖を取らせてもらいました。火を前にすると人は無心になりますね。

 

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ライトアップまで時間があったので、ほっと一息。飲み物はホットジンジャー。温まります。

 

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5時を過ぎると、ライトアップが始まります。まだ明るいですね。

 

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日も落ちてだいぶ暗くなってきました。紅葉の暖色とライトの光陰が美しいです。

 

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どっぷりと更けてきました。

 

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冒頭の写真と同じくらいの位置で撮影してみました。

 

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ライトアップの近くも幻想的です。

 

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反対側からのアングルもまた乙なものです。

 

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見上げると真っ赤な空。

 

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本日のベストショット。個人的には手前のもみじに焦点を合わせて、背景をもう少しぼかしたかったのですが、iphone6ではここまでが限界でした。

 

 

いかがでしたでしょうか。

私にとっては、紅葉のライトアップを見るのは何年ぶりか忘れてしまうくらい久しぶりでした。けれど少しだけ足を踏み出せば、こんなにも美しい世界が広がっているものだと感動した一日でした。

 

最後の締めは、私の大好きなロダンの言の葉を。

 

重要なのは

感動させられることであり

愛することであり

希望することであり

戦慄することであり

生きることなのである

 

芸術家であることの以前に

人間であることだ

 

François-Auguste-René Rodin(1840~1917年)

 

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

ブレたときにフラットな自分に戻れるツールをいくつ持っているか

身の回りに起こる事象で心が揺れたりブレたりしたときに、もう一度自分に戻れるツールをいくつ持っているかが、日々を豊かに生きる秘訣のように思います。

 

 

そんなことをふと考えた今日は、こちらの言の葉からどうぞ。

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保育園のクラスの担任の先生による、娘の評。

 

お嬢さんは、とても優しくて周りの人のことを気遣うことができますが、ときにそれが過ぎて自分の思ったことや感じたこと、やりたいことを我慢してしまうようです。

 

でも、最近少しずつそれが言えるようになってきました。

 

もうそれが出来れば、ここで学ぶことはないくらいです。

 

 

・・・ほほう、どこかで聞いた話だなー、とニタニタしてしまう。

せんせーあのね、ぼくもなんですー

と手をあげたくなる。

 

私の心理の投影とも見えるし、私が変われば、の鏡の法則とも見える。

 

それにしても、おとうが37歳にして取り組んでいる課題を、あいつは5歳にしてすでに取り組んでいるわけか。

あいつ、やるなー!

なんで言えるようになったか、今度聞いてみよう。やはり何でも若いヤツらの方が優秀だ。

 

 

自分の感じた気持ちを、大切にしてあげる、ということ。

それは、周りとの境界線をはっきり引き、自分が自分の一番の味方でいるということ。

つまり、自らの心の中にマリオのスターのような絶対無敵の領域を持つこと。

 

それらは、子どもたちにとっても何よりも大切なことのように思える。それさえあれば、失敗というものは存在しなくなるし、負けは勝ちへの布石となるし、転んでもまた起き上がれる。

 

そのために親が出来ることは、早期教育も習い事も大事だと思うけれど、まずは子どもたちの存在を全肯定してあげること、それに尽きるように思う。

それをするためには親が自分を全肯定してないと実際にはできないから、なかなかに難しいんだけどね。

 

もちろん彼女らもこの先、歳を重ねていろんな経験をする中で、ときにそれを見失うこともあるかもしれない。

 

けれど、一度できたことは大丈夫。

 

しばらく乗っていなくても、すぐに自転車に乗れるように、心と身体は経験したことを覚えている。

 

 

大丈夫、きっとうまくいく。

 

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2017.9.19

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人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」とは言えど、身の回りに起こることに対して程度の差こそあれ、一喜一憂したり、心が揺れることもあるのが人間なのでしょう。

 

しかしその多くが自分を映し出す鏡とは、よく言われることです。

親しくなるほど、自分を姿をあますことなく映し出してくれます。

 

今日の言の葉の中の娘も、そのときの私の姿と状態を映し出していたのでしょう。

 

傷付くのが怖くて、否定されるのが嫌で、親しい人ほど何かを言って突然いなくなるのことを怖れていて、結果としていい人を止められなくて、我慢して言いたいことを言えなかった。そうして自分でも本音が分からなくなって、理解されたいのに理解されないスパイラルに陥っていた。

けれど、一つずつそうした過去の傷がつくる思い込みを、「大丈夫だよ」という言の葉をかけたり癒していくにつれ、言いたいことをきちんと感情を処理した上で言うことが、いかに大切かを学んでいった。

 

そんな私の状態を。

 

そのうえで、身の回りに起こる事象をどれだけ自分にフィードバックできるかが、大切ですね。

 

そうしたときに、どうしても揺れたりブレたりした状態を、フラットな状態でもう一度客観視して見直す時間が必要なように思います。少なくとも私には、必要です。

 

フラットな自分に戻れるツールが、いくつあるか。

人それぞれにいろんなものがあるでしょう。

 

歌。読書。美術館。温泉。アロマの香り。チョコレート。マッサージ。

 

それは、やはり「じんわりと幸せを感じる、無心になれる、好き」ということがキーワードのように思います。

 

 

お客さまにとって、そのツールは何でしょうか。

そのツールを思い浮かべながら、どうぞごゆっくりお過ごしください。

カメラを趣味にすると得られる3大イイコト

1、出不精の解消。

2、美点凝視の習慣化。

3、頭の体操。

 

 

以前の私のスマートフォンのアルバムに入ってたデータは、子ども写真くらいでした。それが、ブログやSNSに投稿するようになって、たくさん写真を撮るようになりました。全てスマートフォンでの撮影ですが、今は本当にスマートフォンで綺麗な写真が撮れて便利です。

 

趣味の定義を「好きなことで続けてること」とすると、新しい趣味と言えます。腕前の巧拙は別として、です。

 

そんな私が考える、カメラを趣味にすると得られる3大イイコトが冒頭の三つです。

 

まず1点目、出不精の解消。

写真を撮るうえで必要なのが被写体。

何かを撮りたいと思ったときに、やはり外に出たくなります。元来出不精の私ですが、近所の公園からちょっとした遠出まで、お出かけすることが日常になりました。もともと美味しいものは好きでしたが、もっといろんなものを食べに行きたくなりました。

 

色んなところに出かけて、綺麗な風景や見た目にも美しい料理を楽しむことは、人生を豊かにしてくれます。カメラはそんな恩恵を与えてくれます。

 

 

そして2点目。美点凝視の習慣化。

目に映る世界の中から、何を切り取るかを考えることが習慣化します。どんな風景の中にも、必ず「おっ」と目を引くような光景があります。よく言われるところの「美点凝視」を自然にできるようになる、と言っても言い過ぎではないでしょう。

 

絶景スポットに行くのもまた楽しいですが、日常の風景の中からそれを見つけるのもまた楽しいのです。目に映る世界は誰にでも同じですが、そこから何を切り取るかはその世界を見る本人に委ねられています。

 

不思議なものでカメラでそれをやっていると、それ以外の場面でも自然に習慣づくようになります。この人のいいところってなんだろう、この会社のいいところってなんだろう、と。全てのことに陰陽があるように、いい面と悪い面があります。やはりいい面を見続けた方が、楽しいですよね。

 

 

最後に3点目。頭の体操。

写真を撮るうえで大切なのは構図とアングルだと素人ながら思いますが、それを考えることは頭のいい体操になります。また人の写真を見ても、「ああ、こんな撮り方があるんだ」と気付かされることが多々あります。

 

四角いフレームの中にどんな構図を描くのか、撮影しながら考えるのは楽しいものです。といっても私は写真を習ったことがあるわけではありませんので、どうやって撮ったらカッコええか、の判断基準しかありませんが・・・

 

 

以上、私が考えるカメラを趣味にする恩恵三つでした。

男性だけに、何だか人前で写真を撮るのに気恥ずかしさもありましたが、今では気にせずパシャパシャと撮るようになりました。一眼レフで撮影した「背景ボカシ」の写真に憧れていますが、まだまだ現役のiphone6で十分かな、とも思うこの頃です。

 

もちろん、撮った写真は遠慮なくシェアしましょう。

もっと周りから応援されるようになりますから。 

 

 

さて、カメラを持って街に出ましょう。野に出かけましょう。

美味しいものを食べに行きましょう。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

「優しさ」の定義は自分で決めていい /2007年皐月賞 雑感

優しい人。

男女を問わず人気ですよね。

 

「好きな異性のタイプは?」 という人類史上最も多くなされてきた質問の答えに、男性、女性問わず必ず上位に食い込んできますね。

 

それでは、どんな人が優しい人なのでしょうか。

 

歩道は車線側を歩いてくれる人?

風邪をひいたときに看病してくれる人?

人の気持ちに共感してくれる人?

相手のことを思って耳の痛いことを言ってくれる人?

 

そのどれもが、おそらく優しい人ですね。

ところが、その例の反対の人が優しくないか?と言われると、決してそうではないのが難しいところです。

 

車線側を歩いてくれなくても、ずっと見守ってくれているのかもしれません。

看病してくれないのは、そっとしてあげた方が治りが早いだろうという優しさなのかもしれません。

共感はできなくても、優しさを行動で示してくれる人かもしれません。

今はタイミングではない、とあえて言わないことがその人の優しさかもしれません。

 

その中で「これが優しさだ」と決めるのは、やはり自分自身です。

 

それは「優しさとは車道側を歩くことだ。異論は認めない」と意固地になることではなく、あれもこれもいろんな優しさがあるけれど、その中から選ぶ、という主体性です。

 

それがあれば、たとえそのとき相手に受け入れられなかったとしても、過剰に反応することはありません。

 

 

さて、長々とお話ししてしまいましたが、これは全て今日のお馬さんの言の葉の導線なのです。162万馬券と優しさのネタの言の葉です。

 

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英国2000ギニーを模した牡馬クラシック第一弾、皐月賞

内回りコーナー4つ、そして直線に急坂のあるコース形態は、時に紛れを引き起こす。

 

2007年、混戦と言われたレースと制したヴィクトリー。

田中勝春騎手による乾坤一擲の大駆けに、2着にも人気薄を連れてきて、大荒れ。

 

年配の知人は、このレースの3連単162万円馬券で息子の大学の学費を翌日振り込んだ豪快なエピソードをよく披露してくれるが、それまでにどれだけJRA大学の学費を払ったのかをあえて聞かないのは、私の優しさ。

 

第77回、皐月賞

天地万物清らかなこの季節に、若駒たちの挑戦。

 

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2017.4.16

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100円が162万円になる馬券。

夢がありますね・・・いつか当ててみたいものです。

 

さてまた一段と冷え込んでくるようです。

どうぞ、暖かくしてごゆっくりお過ごしください。

プロに学ぶ上で大切なこと

その道のプロフェッショナルから学んだり、

その方に依頼することは、

人生の大きなショートカットになると思うのです。

 

その道で膨大な時間をかけてきた方に学ぶことは、

自分の力だけでそれをするよりも、はるかに効率的です。

 

そしてプロの方の力を借りる際に気を付けておくと、その効果が最大限に発揮される点があります。

 

それは、丸投げせずに意思をもって依頼すること。

 

 

インターネットやSNSが多対多のコミュニケーションを築いたことで、以前では考えられなかったような仕事をされておられる方が増えました。以前はマスの需要でしか商売が成り立たなかったのが、ものすごく小さな需要でもそれが市場として成立するようになったということなのでしょう。今まで知られていなかった英知やノウハウが、探せば簡単に見つかるようになりました。

 

生きていく上で、全てことを自分一人でやる必要もなく、その道のプロに聞いたりお願いしたりすることは、時間と労力を大きくカットすることができます。

 

しかしそうした中で思うのは、学ぶ側の姿勢・スタンスによって、その成果は大きく変わってくるように思うのです。

 

それは、丸投げせずに「私はこうしたいのです」という意思を持つこと。

 

プロに任せれば大丈夫。

そう思って仕事を丸投げしてえらい目に逢ったことが、恥ずかしながら私もこれまで働いていてあります。

 

「思うてたんと違う!」

という事態にならないために、「私はこうしたいと思うのですが、その上でどうしたらいいと思いますか」、という問いかけやすり合わせを欠かさないこと。学んだり委託したりすることそのものが目的ではなく、それを通じて成し遂げたい「なにか」を見失わないこと。

 

本題からは逸れますが、金銭授受には不思議な魔力があって、その行為だけで満足してしまうことが往々にしてあります。勉強をしようと参考書を買ったのはいいけれど、買ったことだけで満足してしまい、きれいな背表紙のままホコリをかぶってる・・・そんな経験、私もあります。

 

そのプロに依頼することで、なにを得たいのか。

そのプロから学ぶことで、なにを成し遂げたいのか。

 

その意志が明確であればあるほど、プロフェッショナルから学んだり依頼したりすることは莫大な恩恵をもたらすようです。

 

プロだからと安心せず、金銭授受の魔力に負けず、「こうしたい」という最初の意思がなにより大切なように思います。

 

 

今日はそんなことを綴った言の葉を。

 

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週明けから風邪がぶり返したようで、久しぶりにごっつい体調不良に陥っていた。

 

けれど昨日の帰りに病院で風邪薬をもらって飲んで早寝したら、今朝めちゃくちゃスッキリしていた。

 

なぜか「医者とクスリ」に抵抗がある私だけれど、何でもプロに頼るのは大事だなーと改めて思う、晩秋の秋。

 

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2017.11.16

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お客さまは風邪など召されてませんか。

週末に向けて冷え込むようですので、雑炊などいかがでしょうか。

 

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どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。