【言の葉割烹おおさき】で会いましょう

ようこそお越しくださいました。当店はココロが喜ぶ言の葉を取り揃えております。

アゲインストの風が吹いているときほど、高く遠くに飛べるんだ

今日はめずらしく時事ネタをご用意いたしました。

 

平昌で開かれているオリンピック。その中でもジャンプの競技が好きなのです。

 

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雪や氷が絡むスポーツには何一つ縁がないのに、冬季五輪が好きだ。

 

それは私のオリンピックの最も印象的な体験が、18歳のときの長野オリンピックだからなのかもしれない。

 

その中でも、ジャンプが特に好きだ。

 

学生服の袖に隠したイヤホンで、学校で必死こいてジャンプ団体の実況を聞きながら「岡部K点越え大ジャンプ!再び首位に!」とかいうメモを回していたのを思い出す。

 

あの白馬で、降雪で中止になりそうだったそのジャンプ団体の競技が、代表から漏れた西方選手の試技の大ジャンプで続行になったとかのエピソードを聞き、ますますジャンプに惹かれた。

 

その後、毎年W杯が始まったり欧州の年末年始のジャンプ週間になるとそわそわしていたが、なかなかスポーツニュースで大きく取り上げられるまでにはならず、やきもきしていた。

 

そのうちにインターネットとやらが少しずつ普及していき、

 

ピーガリガリガリ・・・

 

というダイヤルアップ回線の接続で、海外の「ド」マイナーなジャンプW杯を追っかけているファンのサイトを見つけて、結果を見ては一喜一憂していた。どうもそのときからオタク気質だったのは否めない。

 

船木、岡部、葛西、齋藤、原田に、

シモン・アマン

ヤニ・ソイニネン、

マルティン・シュミット、

アンドレアス・ビドヘルツル、

ヤンネ・アホネン

プリモジュ・ペテルカ・・・

 

ライバルたちの名前は覚えているもんだ。

 

ジャンプの何が好きって、アゲインスト=向かい風が有利になること。一見有利なように見えるフォロー=追い風は不利だ。もう高校生の頃から、そんなところに惹かれる生粋のドM気質だったのかもしれない。

 

そして一方で、W杯上位の選手が飛ぶときは必ずいい風が吹くという、よく解説者が言うオカルトも、「ほぇー、そうなんかぁ」と純粋に信じている。

 

 

ということで個人ラージヒルを見ながら、ジャンプ好きだったことを思い出してニヤニヤしている。

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2018.2.17

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ええ、スキーもスノボも行ったことのない雪山と縁遠い私ですが、冬季五輪の競技を観るのは好きなのです。

 

何と言うか、夏季五輪は己が肉体の限界に挑戦する美しさがありますが、冬季五輪は対自然という要素であったり鍛え抜いた技の披露であったり、華やかで好きなのです。その中でもジャンプは高校生の頃、長野オリンピックメダルラッシュを目撃してから、ファンになりました。

 

その当時はマスメディアが報道する情報しか得られない時代から、パソコンとインターネットの普及に恩恵を受け始めた頃でした。夜中のテレホーダイとかいう電話かけ放題の時間を見計らっては、スキージャンプが好きな個人のホームページを探しては、リアルタイムのW杯の結果を見て感動していたのを覚えています。しかしこれが写真1枚を表示するのに数分かかるレベルで遅かった。

 

当時はそんなもんだと思っていましたが、あれから20年。今ではスマホの普及でいつでもどこでもどんなマイナーな競技であっても、それが好きな人たちが発信してくれるおかげで情報を得ることができます。あらためて、すごい時代になったものです。

 

 

そんなスキージャンプ

あんなにも大きなジャンプ台から美しく高く遠く飛んでいく選手たちを見るたびに、「アゲインストの風もこんなふうに乗りこなして飛び越えていこうぜ!」と語りかけてくれるようです。

 

生きることも同じように、アゲインストの向かい風が吹いているときほど、実は高く遠くへ飛べるチャンスなのかもしれません。

 

今日の夜は、そんなスキージャンプ団体が行われますね。

素晴らしいジャンプを披露する選手たちを見て、また勇気をもらいたいと思うのです。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

 

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砂と旅のライフワークを生きた女 ~1996年フェブラリーステークスに寄せて

その人のライフワークは、いつどこで見つかるか分かりません。

 

そして、いつそれを始めても遅すぎることはないと思うのです。

 

今日は今年最初のG1レースに寄せて、遅咲きのライフワークを生きた牝馬の言の葉をお届けします。

 

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1993年のエリザベス女王杯を内からするすると差し切った、ホクトベガ。その年の春の二冠馬ベガと似た馬名であったことになぞらえ、「東の一等星!北斗のベガ!ベガはベガでもホクトベガ!」という名実況を生んだ。

 

その後翌年に夏の札幌でオープン、G3と2勝を挙げるも、じりじりと勝ちきれないレースが続いた。その2年前、障害レースへ転向したのちに再度平地に出戻りしたメジロパーマー宝塚記念有馬記念という二つのグランプリレースを連覇こともあって、ホクトベガも障害レースへの転向も検討された。すでに平地のG1レースを勝っていた馬としては異例であった。

 

実際に障害レースの訓練まで積んだものの、最終的には出走するまでには至らなかった。ホクトベガ陣営はさまざまな路線を模索する中、地方・中央交流元年となった1995年6月に川崎競馬場の伝統の牝馬重賞「エンプレス杯」に出走することを決める。

 

当時、地方・中央交流元年の目玉の交流重賞の一つとして指定された「エンプレス杯」であったが、地方競馬場のダート2,000mのレースに、中央の芝のG1を勝った馬が出走するのは異例中の異例とも言えた。

 

折しも当日は不良馬場となったが、ホクトベガはまるで田んぼのようなその馬場を全く苦にすることもなく、居並ぶ南関東の強豪牝馬を歯牙にもかけず衝撃の大差勝ちを収めた。横山典弘騎手のゴール前100m地点での早すぎるガッツポーズは、今でも語り草となっている。

 

その後秋の芝のG1戦線に出走するも惨敗を重ねた陣営は「エンプレス杯」の圧勝に活路を見出し、ダートのレースを求めて各地の競馬場を旅して回ることを決める。

 

普通の牝馬なら引退して牧場へ帰り、繁殖牝馬になっていてもおかしくない7歳という馬齢にして、ホクトベガはライフワークを見出した。

 

明けて1996年。

1月24日、川崎記念(川崎)1着

2月17日、フェブラリーステークス(東京)1着

3月20日、ダイオライト記念船橋)1着

5月5日、群馬記念(高崎)1着

6月19日、帝王賞(大井)1着

7月15日、エンプレス杯(川崎)1着

10月10日、南部杯(新盛岡)1着

12月4日、浦和記念(浦和)1着

 

そして1997年、

2月5日、川崎記念(川崎)1着。

 

交流重賞10連勝。ライフワークを歩み始めたホクトベガは、気付けば当時の牝馬歴代最高の9億円近くを稼ぐ女になっていた。

 

さて、ライフワークを歩み出すと、必ず抵抗勢力が出てくる。

 

「地方荒らし」。

当時、彼女とその陣営を中央から賞金をかっさらいに来ると批判する声もあった。

 

しかし、結局は勝ち続け季節が深まるうちにその不満の声も発せられなくなっていった。彼女が出走すると、その豪快な勝ちっぷりを観に多くの人がその競馬場に足を運び、馬券が売れたからだ。そして彼女はそれに応え続けた。

 

人の潜在意識は安定を好む。

ひとたびホクトベガの圧勝が水戸黄門の印籠になると、みな結末が分かっているドラマを安心して観たくて各地の競馬場を賑わせた。だからホクトベガは愛された。

 

言いたい奴には言わせておけ。

私は私の道を生きる。

 

そんな声が聴こえてきそうな戦績をひっさげ、ホクトベガは1997年4月3日、「ドバイワールドカップ」に挑んだ。

 

日本馬として初めてこの世界最高峰の砂のレースの勝利を期待され、彼女の旅は遠く中東の地を訪れる。しかし荒れる天候に何度も順延を重ねた末に行われたレースの中で、彼女は転倒し大怪我を負い、そのままドバイの星となってしまった。

 

その戦績の晩年に、砂と旅というライフワークを見出した彼女による初めての日本馬の勝利を期待していた中、届いた訃報の衝撃が今も忘れられない。

 

 

砂と旅をライフワークに生きたホクトベガ

 

交流重賞、ダート。

毎年最初のG1を迎えるたびに、彼女の生きたライフワークに想いを馳せる。

 

 

第35回フェブラリーステークス

東京、ダート1,600m。本日15時40分発走。

寒風切り裂き、砂塵を舞い上げ、己がライフワークを走れ。

 

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自分の「ルール」を教えてくれるのは、ネガティブな感情

昨日の「手放す」ことについての言の葉の続きですね。

 

両手をがちがちに握りしめてると新しいものが掴めなくなりますよ、

だから思い切って「手放し」てみましょう、

そしてその両手から「手放す」のは「気になるもの(=子どもの成績、フラれた彼女、受験で落ちた学校、ケンカした友人、お金)」ではなくて、それらへの「執着」ですよ、

そして「執着」とは、言い換えると「ルール」であり自分に制限を加えるものなんです、

だから「手放し」てみましょう。

 

というような内容でした。

「ルール」がたくさんあればあるほど、生きづらくなるのは明白ですよね。私なんかはつくづく禁酒法という「ルール」のある社会に生まれなくてよかったと思ってるわけです、はい。

 

で、そこまではいいけど、その「ルール」はどうやったら気づいて緩めれるの?というお話でした。

 

ちょうど先日、そんな体験がありましたので、シェアしたいと思うます。

 

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それは先日の夜、自宅への帰り道のことでした。

車で駐車場から出ようとしていた私は、前の道が渋滞していることに気がつきました。

時間帯的には7時前くらい、帰宅する車が若干多い時間帯です。

 

駐車場の前の分離帯のない道路は渋滞しており、さらにその道が接続している片側一車線の道路は、左車線だけ渋滞していました。

 

ところがその片側一車線の道路に接続するところで、先頭の車が右ハザードを出して停まっているのです。

 

図にするとこんな感じです。

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前の片側一車線の道路の右側車線は、ピクリとも動いていないのに!

左車線はがら空きなのに!

 

ええ、こう思いましたね。

 

後ろが渋滞してんのに無理矢理右折しようとすんな、自粛しろ!

何台並んでると思ってるんだ、一旦左折で出ろ!

 

そのシチュエーションになったとたんに無性にイライラするわけです。

不思議なもので、別に帰りを急いでいるわけでもなく、見たいドラマがあるわけでもなく、12時までに帰らないと魔法が解けるまけでもないのに、です。

 

こういうときは、あきらめて音楽でもかけるなり、R-1に出るときのために顔芸の練習をしたり、待ってる時間を有効活用すればいいのですが、なかなか気分転換できずイライラがおさまりませんでした。

 

で、ここで立ち止まるわけです。何に私はそんなに腹を立てているのだろう、と。

 

 

「ルール」の話に戻りますと、一般的に自分の持っている「ルール」は自分では気づきません。色眼鏡をずっとかけたままだとかけていることを忘れてしまったり、波平さんが自分の頭にかけた眼鏡を探したりしますよね。

 

それは周りから見ればよく分かるのですが、自分で気づくのなかなか至難の業です。

 

ですが、その「ルール」に気づく方法があります。

そのカギとなるのが、「ネガティブな感情」です。

 

昨日の言の葉でも少しお話ししましたが、人は自分が傷ついたと思うとき、それは実は自分の持っている「ルール」が破られたときにそう感じるのです。その「ルール」を破ってくるのは、多くは周りの他人です。

 

ときに上司が、親が、友達が、パートナーが、自分の持っている「ルール」を破ってくるのですが、一般的に自分と関係が近い人ほど自分のこと「ルール」を大きく破ってくるようです。

 

「ルール」が破られたと感じたとき、私たちは「怒り」をはじめとしたネガティブな感情を覚えます。

 

つまり、言い換えればネガティブな感情を感じたときは、自分の握りしめている「ルール」を見つけるチャンスなわけです。

 

さて、渋滞しているのに無理やり右折しようとすらヤカラに、私の何の「ルール」が反応したのでしょう。ふと立ち止まってみました。

 

後ろにあれだけ車が待っているのに

あの車がいったん左に出れば、それで済むはずなのに

普通に考えれば分かるはずなのに

あの車が右折しようとするから、多くの人が待たされてる

自分の都合で他人の時間を奪ってはいけないのに、あのヤカラはオカシイ。

 

・・・はい、どうも私の中には「自分の都合で他人を待たせてはいけない」という強固な「ルール」があるようです。

 

ええ、待ち合わせやアポイントには約束の15分前には必ず着くようにしてます。仕事でも、遊びでも。お店を予約したら5分前には入るのが当たり前だと思ってます。

 

しかしこれが遅刻したりアポイントに遅れたりして、他人の時間を奪っては「絶対に」いけない、となるのはかなり苦しいわけです。

 

向かってる途中でお腹が痛くなることもあるだろうし、

電車が遅れることもあるだろうし、

絶対に遅れられないのはプレッシャーになるし、

遅刻する恐怖から積極的にアポイントを取らなくなってしまうかもしれない。

 

そして周りにも遅刻禁止を強く求めるようになり、一度遅刻でもしようものなら大きなショックを受けて罪悪感にまみれてしまう…

 

つまり「ルール」をこじらせると、生き辛くなったり息苦しくなってくるわけです。

 

 

さていつもに増して長くなりましたが、ようやく本題の「ルール」を緩めるには、というところまできました。

 

緩めるためには、その「ルール」を段階的に緩めていく言の葉をつぶやいてみることが効果的です。

 

「待ち合わせには遅れてはいけない」

→「待ち合わせに遅れない方がいい」

→「待ち合わせに遅れるときもあるさ」

 

というように。

これは「〜すべき」とか「〜してはいけない」という義務・禁止のルールの場合ですがら「〜は〜だ」という定義のルールの場合はこんな感じです。

 

「子育ては大変なものだ」

→「子育ては大変なものだとは限らない」

→「子育ては喜びを与えてくれるものだ」

 

言の葉にしてつぶやくだけで、だいぶ「ルール」が緩んできます。そして「ルール」が緩んだ分だけ、楽になります。

 

私もあのヤカラからの気づきがあってから、「人を待たせることもあるさ」とつぶやいて、「ルール」を緩めるようにしています。

 

 

最後に口直しを二つだけ。

 

ひとつは、「ルール」自体に善し悪しがあるわけではない、ということ。

「ルール」によって恩恵も受けているわけです。先の私の例で言えば、時間に正確なのは当然相手からの信用も得やすいでしょうし、それ自体が悪いことではありません。

それを全てなくしてしまおうとするのではなく、ちょっと緩めると楽になる、というイメージがいいのかな、と思うのです。

 

もうひとつは、ここまでのお話の中で最も難しいのが、自ら「ルール」に気づく、というところ。ネガティブな感情がそのサインだとしても、そもそもその感情を抑圧していると、そのサインに気づくのは難しくなります。

そうしたときは、カウンセラーやコンサルタントといった第三者の目で見てもらうことで見つけることができることもありますね。

 

 

ということで、「ルール」とその緩め方についてでした。お楽しみ頂ければ幸いです。

 

今日もお越し頂きありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

 

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「手放す」ということについて

昨日の夢を叶える二つの方法についての言の葉に関連したお話で、「手放し」についてです。

 

「天命追求型」の叶え方で大切なのが、目標を「天」に委ねる、という点。

言い換えれば、こうなりたいという欲やコントロールを放り投げる、あきらめる、委ねる、降参する、任せる、ということ。

 

心の世界を覗くとよく出てくる「手放し」ということですね。けれどなかなか実践が難しいのも、この「手放し」です。

 

今日はその「手放し」について考えてみます。

 

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ごちゃごちゃくに散らかっている部屋を片付けようとしたら、モノを減らすのが綺麗にする一番の近道です。断捨離なんて、もう市民権を得た言の葉ですしね。

 

心の中も同じで、何かに行き詰ったら「手放す」ことが事態を好転させるカギになることがあります。

 

たとえばこんなときって、何かを握り締めてるときですよね。

 

子どもの成績が心配で仕方ないってときもあれば、

フラれた彼女を忘れられないこともあるだろうし、

不合格だった第一志望の学校を見て歯噛みすることもあるし、

ケンカして音信不通になった友人のことを考えちゃうし、

浮気した旦那と何とかヨリを戻そうとしちゃうこともあるし、

あるいはお金のことが頭を離れないこともありますよね。

 

だいたいこういうときって、何かうまくいかないことを相手のせいにしちゃうし、相手に過剰に期待しちゃうし、それに応えてもらえないって相手を責めるし、翻って自分のせいにして責めるし、相手をコントロールしようとするし・・・

蟻地獄のようのになるのが人の常だと思うのです。

 

そこで「手放し」をした方が楽に自由になれますよ、っていうんだけど、

 

そんなもん簡単にすぐできるなら苦労せんわ!

手放すって言ってフラれた彼女や落ちた高校のことが忘れられるか、ボケ!

 

ですよね・・・

 

私も心の中のマリアナ海溝に潜ったり、こちらのブログの言の葉に救われたりする中で「手放し」にチャレンジしてきましたが、なかなか難しいわけです。ええ、ずいぶんと苦戦してきました。

 

「握り締めている欲を、捨てないといけない」

 

その当時はそんなふうに考えていましたが、それはえげつない公卿なわけです。あ、ちがった。苦行です。常人にできるわけありません。んで、できない自分を責めるという負のスパイラルに入るまでがワンセットなわけです。

 

ところが、心の世界で使われる「手放し」って、そうではないわけです。

 

「手放す」のは、子どもの成績でも、フラれた彼女でも、落ちた学校でも、ケンカした友人でも、お金でもありません。

 

実は「手放す」のは、それらへの「執着」なわけです。「執着」は「ルール」、あるいは価値観、尺度、ブロックと言い換えることができます。

 

人にとって、自分が傷付くと感じるのは、実はその「ルール」が破られたときに感じるのです。

 

子どもの成績は上位20%くらいにいないといけない

私は彼女のことを愛しているから、彼女もそうあるべきだ

私はたくさん努力したから、第一志望に受かるはずだ

正しいのは私で、友人の方から謝ってくるべきだ

結婚したら浮気なんてしてはいけない

お金がたくさんないと幸せになれない

 

先に挙げた例で行き詰ったり、傷付いたりする人がいたとしたら、もしかしたら気付かないうちに自分の中にそんな「ルール」を築いているのかもしれません。

 

お気づきのように、そうした「ルール」がたくさんあればあるほど傷つやすくなり、生きづらくなります。

 

たとえばサッカーでは「相手のユニフォームを引っ張ったら反則」というルールがありますが、もしこれが「相手に触れたら反則」というルールが増えたら、ものすごーく反則がたくさんになってしまい、プレーがしづらくなることでしょう。それと似たようなイメージです。

 

だから、こうした「ルール」を緩めた方が楽に自由に生きられるんじゃないでしょうか、というのが「手放し」というものの本質なんだと思います。

 

それはそうとして、じゃあどうやったら緩めることができるのか?については、少し長くなってしまいましたので、また明日にしましょう。

 

こんな「手放し」についての言の葉をご用意して、今日は看板にしたいと思います。今日もありがとうございました。

 

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人から相談を受けた。

 

以前の私は「周りを助けたい症候群」で、そんな相談ごとをよく引き寄せては、境界線を越えてズブズブと一緒に沈んだりしてたけど、昨日はわりとフラットに聞けた。

 

ただ小一時間ほど話を聞くだけ聞いて、最後に今の私に伝えられることを伝えただけで終わった。それを彼がどう受け取って、問題の解決になったのかは分からないし、不思議と気にならない。

 

それは仕事上の相談だったのだけれども、ふと思った。

 

会社を辞めても何とかなると思えるから、仕事に対して真摯になれる。

 

独りでいる覚悟があるから、いつも隣に誰かがいる。

 

出ていくお金に対して受け取るものに感謝できるから、またお金が入ってくる。

 

試行錯誤してトンネルに入ってジタバタもがくそのプロセスを楽しむからこそ、結果が思い通りにならなくても気にせず失敗にならない。

 

まあ自分がいなくても何とかやっていくのだろうと執着せず方の力を抜けるから、子どもが自立しはじめる。

 

このクライアントに切られても今のベストを尽くしたと思えるから、新しい依頼やクライアントが来たりする。

 

この人がいいのだけれど別れてもきっと大丈夫だと思えるから、対等なパートナーシップが築ける。

 

嫌われる怖れを越え自己表現するから、欲しかった信頼が得られる。

 

今この瞬間に命の灯火が消えたとしても満足だと思えたなら、その生が輝く。

 

感覚的には分かっていても、なかなかそこまでの対等な関係性や、「手放し」と呼ばれるその境地まで至るのは難しい。

 

けれど、日々日々、積み重ね。

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2017.4.21

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「目標達成型」と「天命追求型」という夢を叶える二つの方法

夢や希望を叶えるためには、それに向けて目標を設定しやるべきことを明確にして、準備して実行すること。

 

それも一つの方法なのですが、今与えられていることを楽しむという方法もあります。

 

「目標達成型」と「天命追求型」と呼ばれる二つの方法がありますが、自分に合った方法を考えると楽しくなるのかもしれません。

 

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当店の言の葉をお楽しみ頂いている知人の方から、会社のホームページをつくるからキャッチコピーを考えてほしいとお声がけいただきました。ありがたいことです。

 

私はこれまでの経歴でコピーライターをした経験はありませんので、キャッチコピーを考えるというのは、ずぶの素人です。しかし「採用されたら美味しいお酒と肴」という報酬に目がくらみまくり、その会社さんの魅力を伝えるキャッチコピーのために頭を巡らせております。

 

当店をオープンしようと思ったときに、「キャッチコピーを考える仕事」につなげようと思ったことはありません。

 

ただインプット過多だったことと、ブログを書いたらどうかと声をかけて頂いた方がいらっしゃったこと、そして過去に私自身もブログの言の葉に救われたので、私もそんな言の葉を綴ってみたいと思い、始めました。

 

そしてオープンして書き始めると、書くことが楽しく今日まで続けられています。

 

それがこうして「キャッチコピーを依頼されて、報酬は美味しいお酒と肴」という展開になるとは、おもしろいものです。

 

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冒頭で申しあげましたとおり、夢や希望を叶える方法として、「目標達成型」と「天命追求型」という二つの方法があります。

 

「目標達成型」は読んで字のごとく、設定した目標に向かってそこに至るプロセスを考え、それを着実に実行していく方法です。夢や希望を叶える方法と聞くと、普通に思い浮かべるのがこの方法ですね。

 

よく聞く「PDCAサイクル」と呼ばれる仕事の進め方が、それに当たります。会社で仕事をしていると、必ず四半期、あるいは半期、通期の売上であったり、商品開発であったり、人材育成であったり、諸々の目標設定をした上で仕事を進めていくと思いますし、この「目標達成型」の方法は多くのところで見かけます。

 

さて私事なのですが、この「PDCAサイクル」とか「半期目標」とかがメチャクチャ苦手です。目標管理とかのタスクにテンションは全く上がらず、当然スキルも身に付きません。

 

ええ、いつも個人目標シートとかの提出期限が近づくと、

「給食の牛乳がどうしても飲めなくて、掃除の時間はおろか昼休みの時間まで残されて苦戦している小学生」の気分になります。

そんな小学生、実際には見たことありませんが・・・

 

自分はダメだなー、仕事できんなーと思っていたのですが、以前ご紹介したストレングスファインダーの34資質の全順位を出してみたところ、下位の順位を見てすごく納得しました。

 

29位 分析思考/30位 目標思考/31位 原点思考/32位 競争性/33位 回復志向/34位 指令性

 

・・・そりゃ、目標設定やPDCAが苦手なわけですよね。

 

ストレングスファインダーの基本は上位資質にフォーカスして、下位資質に関しては「苦手だから克服しよう」とかするよりは「自分には興味がないんだ」と捉える方がよいとされます。うん、私には「目標達成型」の方法はあまり向いていないようです。

 

そんな私のようなタイプの人には「天命追求型」の方法があります。

 

自ら目標を設定するのではなく、それを「天命」、すなわち人の力の及ばざるものに委ねて、いま目の前の状況や課題を全力で楽しんでいると、気づくとステップアップしている・・・そんなイメージです。

 

上のキャッチコピーのくだりなんて、まさにそれですよね。コピーライターなんて全く想像だにしていなかったのに、気づいたらキャッチコピーを考えている。

 

まさに「天命追求型」だなあ、と思うのです。

 

無理に設定した遠い未来の目標に縛られなくてもいい。

まして、それを達成できないからといって自分を責めなくてもいい。

ただ、いま目の前にあるひとつひとつのことを大切に、愛でて、楽しむことを全力でしていったらいい。

そう、いつも当店で申しあげている「日常の細部を見つめる」ことですね。

 

もし目標設定やそのノルマが少し息苦しかったり、プレッシャーを感じたりしたら、そんな考えもあると知っていると、少し肩の力が抜けるのではないのでしょうか。そして目の前の顧客のために何ができるのか、全力で取り組んでみると、気づいたらノルマも達成しているのかもしれません。

 

 

もちろん、この二つの分類もスパッときれい分かれるわけではなく、「目標設定型」70%、「天命追求型」30%というような割合に分かれる方もいらっしゃるのでしょう。

 

お客さま自身はどちらの型に近いか、考えてみるのも楽しいかもしれません。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。f:id:kappou_oosaki:20180214222227j:plain

 

お礼状。

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成功して笑うよりも、失敗して笑え

失敗を黒歴史にすると、もうこれ以上失敗できないというプレッシャーを抱えることになって窮屈になります。

 

ところが、失敗を笑えると、失敗は失敗でなくなりそのうち成功します。

 

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ティファニーではないのだが、今朝いつものように朝食をとっていたときのこと。

 

娘が箸でつまんだ梅干しを茶碗に持ってこようとしたが、まだ拙い箸の持ち方のこと、ぽろっと味噌汁の中にぽちゃんと梅干しを落としてしまった。

 

あちゃー、落としちゃったねー

 

けれど娘はケラケラ笑っていた。

 

 

失敗するのが許せないと、失敗できない生き方になる。

人から嫌われることにOKが出せないと、どこまでも我慢する生き方になる。

ネガティブな感情が認められないと、感情の抑揚のない機械のような生き方になる。

失敗できない人生は、他人の失敗も許せないから苦しい。

我慢する生き方は、周りにも我慢を強要するから生き辛い。

感情を抑え込む人生は、時限爆弾を抱えるように重たい。


そうならないためには、失敗や嫌われることやネガティブな感情を「イケナイことだ」という思い込みをいったんゆるめてみることだ。

 

では、ゆるめるためには?

 

「イケナイことだ」という刷り込みができたきっかけを自分に問うてみることだ。

それは必ず過去に傷ついたり恥ずかしかったり悲しかったりといった、黒歴史と密接に結びついている。その黒歴史で傷ついた分だけ、「あれはイケナイことだった」という刷り込みをすふようになる。

 

その刷り込みは麻酔のように心の痛みを抑える役割を果たしてくれるけれど、同時に周りにも「それはイケナイことだよ」を強要する猛毒になる。結果、身動きが取れなくなる。

 

ずっと痛みを抑えてくれた麻酔には、ありがとう。けれど、もう目覚めても大丈夫だよ。

 

豊かに、正直に、失敗して生きよう。

成功して評価されて愛されて称賛されて昇進して笑うよりも、失敗して笑おう。


味噌汁漬けの梅干しを、ケラケラ笑ってサルベージする今朝の娘のように。

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2018.2.7

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子どもは全力で親を助けにやってくる、とは以前こちらの言の葉ご紹介しましたが、

やはり小さな先生はいろんなことを教えてくれます。

 

失敗してもケラケラと笑顔で笑うことができるのは、失敗しても大丈夫だと信頼しているから。

 

何を?

そう、自分をです。イコール周りの世界を、なのですが。

笑えばきっと大丈夫、大丈夫。

 

え?そんなことはない?

大丈夫じゃない笑えない失敗もありますか?

 

あの受験に失敗しなければ?

あのときもっと彼女の話をよく聞いておけば?

借金してまであの鉄板と思われた馬券を買わなければ?

ちゃんとあの伝票を自分でチェックしておけば?

 

・・・いろんな失敗はあるとは思いますが、それでも、いまこうしてご来店いただけている。もう、それだけで大丈夫じゃないですか。あ、もしかして、幽霊かおばけではないですよね?

 

今日、こうしてここでお会いできる。それだけで大丈夫です。

 

そして、そんなふうにケラケラと失敗を笑い飛ばせるから、私はお酒が好きだと思うのです。

飲んだら笑え。酔ったら歌え。

話は明日だ。

大好きな横山秀夫さんの小説「クライマーズ・ハイ」の中の一節です。

 

酒席で笑いながら話す失敗や黒歴史は、もう最上の肴になります。そんなとき、失敗した自分やお腹の底に抱えていた黒歴史が、輝きだすのです。

 

もし機会があれば、お客さまの失敗や黒歴史を肴にしてみてはいかがでしょうか。

 

失敗して黒歴史の最低の自分を、笑って大丈夫だよと肯定してあげること。それは最上級の自己肯定になります。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。