【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

凛とした美しき伝統 〜東京尾山台・オーボンヴュータンに寄せて

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

東京は世田谷区・尾山台にあります洋菓子の聖地を訪れましたので、今日はその訪問記を。

 

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尾山台にあります、AU BON VIEUX TEMPS(オーボンビュータン)

日本の洋菓子を牽引されてきた、河田勝彦シェフのお店です。

 

パティシエという言葉が市民権を得るずっと前から、フランスの伝統的なお菓子を変わらず伝え続けてきた名店。

ここから独立された有名なシェフは数知れず。

 

私は10年ほど前に尾山台を一度訪れたことがありましたが、その後近くに移転されパティスリーとともにシャトルキュリー(ソーセージやパテ、テリーヌなどの食肉加工品)の販売と、ランチを含む喫茶を始められたと伺っておりました。

 

一度新しい店舗を訪れてみたいと思っていたところに、東京へ出る予定が入りましたので、ワクワクしながら訪問してきました。

 

尾山台駅は、東急大井町線

 

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学生時代に東急東横線沿いで下宿していましたが、こちらの方面に足を向けることはあまりありませんでした。 

今考えると、もっといろんなところに出かけておけばよかったと思うこともありますが、年を取らないと分からない価値もありますね。

 

改札を出て、ハッピーロード尾山台という商店街を通って南へ歩いて10分ほど。

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環八通りとぶつかる交差点を右に曲がると、その赤い聖地は見えてきます。

 

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凛としたた佇まい。

赤い印象的な色遣いですが、この尾山台の街並みに溶け込んでいました。

 

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お店の外から見える焼き菓子が美しい。

 

店内に入ると10年前に移転する前のお店に訪れた時と同じ、たくさんのお菓子の華やかな中にも凛とした雰囲気が感じられました。

 

ランチは12時からとのことで予定が合わず頂けませんでしたが、店内で販売されているお惣菜類を喫茶スペースで頂くことができました。

シャトルキュリーのケース。

 

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バターライスとお肉を詰めた「トマト・ファルシー」と、アンディーヴのハム包みグラタン「アンディーヴ・ジャンボン」、そして今日のパンをオーダーしました。

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恥ずかしながら「アンディーヴ」とは何かよく分からずオーダーしたおのぼりさんですが、「チコリー」のことでした。

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ハムの中にはこんなに立派なチコリー、いやアンディーヴが。

その苦味とホワイトソースの甘みがよく合います。

 

トマト・ファルシーとあわせて、パンにソースをつけて食べるという動作が止まりませんでした。 

 

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食後にカフェ・クレームを。

最近、ミルクたっぷりがお好みの私です。

 

不惑も近い男性のおひとり様だったのですが、こんな素敵なハートマークの絵を描いて頂いて、恥ずかしくもあり嬉しくもあり。

 

お腹も満たされたあとは、おみやげを何にしようか悩みます。

 

あまりに美しいショーケースを撮ってもよいですか? とお伺いすると、快くOKを頂きました。

 

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ボンボン・ショコラの数々。

一粒一粒が輝いています。

 

結局悩んだ末に、おみやげの一つはこちらから「オランジェット」にしました。

 

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ケークやヴィエノワズリーといった乾きものたち。 

 

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色とりどりのギモーブ、そして飴菓子たち。

その一つ一つの色合いが美しい。

 

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コンフィズリーとキャラメル。

 

コンフィズリー大好き。

おみやげのもう一つは、こちらの詰め合わせにしました。 

 

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こちらは半生菓子。

どれも凛とした表情をしています。 

 

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そしてお店の華、生ケーキの数々。
やっぱりショーケースは宝石箱。

 

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真ん中右のカップに入ったケーキが、店名にもなっている「オーボンヴュータン」。

カスタードクリームと洋梨のコンポート、ポワール種を使ったケーキ。

 

「オーボンヴュータン」とはフランス語で「旧き良き時代」。

 

河田シェフはどんな想いで、この名前を付けられたのでしょうか。

フランス菓子の伝統を重ねてきた日々なのか、

それともシェフがフランスで修業された時代なのか。

 

それはともかく、私も10年ぶりに訪れたこの名店の凛とした空気を味わえたことで、10年前の自分に想いを寄せながら尾山台駅への道を歩いたのでした。

 

そう、旧き良き時代を思い出しながら。

 

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「自己否定」と「命題の裏」の関係について

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

先日、旅情に寄せて綴った記事の終わりに、


「旅をすると人生が豊かになる」けれど、「旅をしないと人生は豊かになれない」というわけではない、と書きました。

 

他のテーマにも応用できそうですので、少しこのネタを扱ってみます。

鍵はどうやら「自己否定」と「命題の裏」のようです。

 

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数学が丸出ダメ男だった私ですが、その中でも比較的マシだった分野が高校数学の中でありました。

 

「集合と論理」の分野です。

 

ちょっと高校時代を思い出しながら、頭の体操をしてみましょう。

 

正しい(真)か正しくないか(偽)が数学的に決まる文章や数式のことを「命題」と呼びます。

 

 「2で割り切れるならば、偶数である」

 

 「ネコならば、動物である」

 

というように、「AであるならばBである」というのが「命題」ですね。

 

この「命題」に対して、三つの仲間がいます。

 

 「Bであるならば、Aである」 = 
 「Aでないならば、Bでない」 = 
 「Bでないならば、Aでない」 = 対偶

 

懐かしいですね。
どれが逆でどれが裏か、よく分からなくなりますね。

 

この仲間たちのなかで、「命題」の真偽とその「対偶」の真偽は一致するという性質があります。


いっぽうで、「命題」の真偽と「逆・裏」の真偽は必ずしも一致しません

 

先の「ネコならば、動物である」という例ですと、

 

 : 動物ならば、ネコである。

ですよね、ネコ以外に動物はたくさんいます)

 

 : ネコでないならば、動物でない。

(同じくこれもです)

 

対偶 : 動物でないならば、ネコでない。

(これはです)

 

となります。頭が痛くなってきたでしょうか。

私も書いてて、数学の追試の時間を思い出してブルーになりました。

 

早く終われ!と思っていたわりに、悔しかったりした時間は20年経っても格好覚えているものですね。

 

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さて、こんな逆・裏・対なんて20年ぶりくらいに触れたことをつらつら書いたのには理由があります。

 

それは、私たちは自己否定が強いときに、こうした「裏」を取る思考を日常の中で使ってしまっているように思うのです。

 

冒頭に挙げた例でいくと、

 

「旅をすると、人生が豊かになる」という「命題」を、「旅をしないと、人生は豊かにならない」という「裏」に変換して「自分は旅に出ていないから、豊かでないんだな」と自己否定をしてしまうように。

 

もちろん、別に旅をしていないで豊かな人生を送っている方はたくさんいらっしゃるのに、です。

 

ある「命題」を耳にしたときに、その「命題」「裏」をとってしまうのですね。


旅の例に限らず自己否定が強いと、いろんな場面でそんな「裏」を取る思考をしてしまいがちです。

 

「お母さんが笑顔なら、子どもは笑顔になる」
 ⇒ 「お母さんが笑顔でないなら、子どもは笑顔でない」

 

「お金持ちは、風水を気にしている」
 ⇒ 「お金持ちでない人は、風水を気にしない」

 

「成功する人は、人脈をつくるのが上手い」
 ⇒ 「成功しない人は、人脈をつくるのが下手」

 

お母さんが笑顔でなくても子どもが勝手に笑顔の場合もあるし、風水など気にもかけないお金持ちも世の中にはいると思うし、人脈づくりが下手でも人が周りから寄ってくる成功者もいるはずです。

 

私たちは自分の見たいように世界を見ます。

 

言い換えれば、私たちは自分のセルフイメージを世界に投影しているといえます。

 

どんな景色や出来事であっても、まったく正反対に受け取る人がいるのは、そのせいだとも言えます。

 

自己否定をしたいと、どんな命題や言葉や出来事を見ても、自分を否定するための材料にしてしまいます。

 

一方で自分を肯定したいと、どんな状況で何を見ても、自分を肯定する材料にしかなりません。

 

先ほどの例のように、「命題」「裏」を考えたくなってしまうときは、実は自己否定が隠れているのかもしれません。

 

そんなときは、

命題は必ずしもじゃないし、であることもあるよね」

と考えてみると、少し世界の見方を変える手助けになるかもしれません。

 

そしてもし少しでも見方が変われば、もう大丈夫。 

「癒し」とは世界の見方を変えることであり、自己否定のベクトルを別の方向に向けることができているはずです。

 

あとは日にち薬、ですね。

 

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そもそも、論理学において「命題」とは「真偽」が明確に決まるものを呼ぶので、今日挙げた例は厳密には「命題」ではありません。

 

けれども、思考がぐるぐるするタイプの方には、もしかしたらハマるお話かもしれないと思い、綴らせて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

 

今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

梅雨の合間の晴天がとても気持ちよく、先日の朝は渋滞した車窓からこんな夏空を拝むことができました。

 

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どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。 

 

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ただ手を合わせる、祈る 〜東京都港区・「泉岳寺」赤穂義士墓地に寄せて

東京都は港区の友人宅で、その日の夜明けとともに目が覚めた。


前日の酒が少し残っているが、頭はすっきりしていた。

 

早起きはいいが、その日の予定よりも早すぎる。

さて、何をしよう。

 

せっかく上京しているのだし、この近くを観光でもしてみようと思い、スマートフォンを取り出し地図アプリを開く。


すると、すぐ近くに「泉岳寺」の名が目に入る。

 

駅の名前くらいでしか認識がなかったが、調べてみると曹洞宗の寺院として、江戸三箇寺の一つとして有名。
さらにはかの有名な「忠臣蔵」の赤穂義士が埋葬されているとのことだった。

 

行き先は決まった。
そうとなれば、後は早い。

 

出来あがった後の居酒屋のお銚子のようにごろごろと転がっているペットボトルを踏み分けて、顔を洗う。

髪を整え、着替えて荷造りをして10分。

 

こういうときに男性は便利だな、とつくづく思う。

 

まだベッドの中で寝ぼけ眼の友人に一宿の礼を告げ、アパートを後にする。

 

この日は梅雨入りしたばかりらしく、ぐずついた天気だった。

 

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地図アプリを頼りに歩き始めてほどなくして、目的地と真逆に歩いていたのに気づいて苦笑する。


やはり地図は苦手だ。

 

気を取り直して来た道を戻る。

住宅街を10分ほど歩いたところで、泉岳寺の中門にたどり着いた。

 

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朝早いこともあり、人の姿はちらほらと見える程度だった。

 

門をくぐると、綺麗な紫陽花が出迎えてくれた。

 

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その横には、忠臣蔵の主役・大石内蔵助吉雄の銅像がそびえ立っていた。

 

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少しの間合掌してから、山門の脇を通って境内に入る。

 

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境内にも人影はそれほど見られず、静寂がその空間を包んでいる。

 

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本堂の前に、線香を手向けるところがあったので、その場で買って捧げてみる。

 

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境内を一回りしてみる。

 

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座禅を以て生涯を貫いたと伝えられる、澤木興道老師像。

本堂の脇にて座禅を組んでおられた。

 

境内を一回りしたところで、いよいよ赤穂義士の墓地へ。

 

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門をくぐると、明らかに流れる空気が変わった。

 

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ひんやりとするような、背筋に冷たい水が垂れたような、「ぞく」っとする感覚を覚える。

 

入り口でまた線香を買う。

 

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線香の手向け方が分からず、入り口の男性に尋ねると「1、2本ずつお墓に供えてください」と教えて頂いた。

 

義士墓に入り、48の墓碑の一つ一つに線香を手向ける。


悲しい場所だった。

 

入り口からの身震いする感覚は止まず、写真を撮るのがためらわれた。


半分に割った竹筒に入れた線香がなくなったとき、ちょうどすべての墓碑に線香と祈りを捧げていた。

 

そんなに暑くはないのだが、汗が噴き出てきた。

 

一礼して、墓地を後にする。

 

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埋葬されている志士たちは、義に生きた47人として「忠臣蔵」に語り継がれている。

 

私が小さいころ、毎年父方の実家で年末を迎えていた時期があった。


その実家で、祖父が安楽椅子に座って「忠臣蔵」の時代劇を観ていたのを思い出す。

 

そんな祖父を思い出しながら、義に生きた彼らの生き様を美談にすることに、私は微かな嫌悪感を覚えた。


47人の義士たちには、彼らなりの「義」があった。
そして自らの生を賭けて、その「義」に殉じた。

 

しかし、彼らの「義」と同じように、敵役となった吉良上野介にもまた「義」はあったはずだ。

 

どれだけ歴史的に精緻な考証が進もうとも、その場にいなかった私たちがその事件を評価し価値判断をすることは、危険なのだと思う。


それは週刊誌やマスメディアの情報だけで、見知らぬ誰かの不倫や、見知らぬ運動部の揉め事を裁いたりする愚かしさに似ているのかもしれない。

 

だから私は嫌悪感を覚えるのだろうか。

 

47人の義士が善で、吉良上野介が悪。

 

正誤善悪、あるいは加害者・被害者の二元論に留まる限り、この墓地を覆う「悲しさ」の連鎖からは抜け出せない。

 

被害者は被害者でいる限り、いつか必ず加害者になる。
あの人は私を傷つけた、という刃を振り回すからだ。

 

そしてその被害者も、また加害者となる。

 

悲しみや憎しみは、正誤善悪、加害者・被害者の二元論に留まる限り、輪廻のように連鎖する。

 

悲しみの連鎖を止めるには、その輪廻を抜け出すしかない。

 

そのためには正誤善悪の価値判断を手放して、起こった出来事を「ただそこに在ったこと」として見ることが大切なのではないか。

 

そう考えると、私たちができるのは、手を合わせて祈ることだけなのかもしれない。


それぞれの墓碑には、一人一人の享年が彫られていた。

 

47人の義士、一人一人を産んだ親がいて、中には子どもや孫がいた義士もいただろう。


それは同じように、浅野内匠頭にも、吉良上野介にも。

 

いったい、この墓碑の周りでどれだけの人が悲しんだのだろう。

 

私は、ただそれが悲しかった。


その悲しさを抱いて、ただ手を合わせて祈った。

 

そんなことを考えながら墓地を後にしようとすると、ぽつぽつと雨が降ってきた。

 

浄化の雨のような気がして、私は振り向いて墓地の方にもう一度だけ、手を合わせて祈った。

 

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もしも、どちらを選んでも正解だとしたら 〜だって今までどちらを選んでも大丈夫だったのだから

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

人は誰しも「自由」でありたいと願います。


けれども、「自由」につきものの「選択」はときに「怖れ」を呼びます。

 

自分にとって大事な選択だと思えば思うほど、その「選択」を間違えてはいけないというプレッシャーや怖れが大きくなります。

 

そんなときには、「どちらを選んでも正解だとしたら」と考えてみることが、ココロを軽くしてくれるかもしれません。

 

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以前に、私は小売業の現場で仕事をさせて頂いていたことがあります。

 

そこで顧客から苦情を頂くことが、ままありました。


いわゆるクレーム処理というやつですね。

 

いろんな種類の苦情をお伺いする中で、自分の中でクレーム処理の一つの「ひな形」のようなものがありました。

 

まずは顧客からの主訴をお伺いし、共感する。


ここで顧客から求められない限り、絶対に自分から意見や価値判断を話さない。

(もちろん、相槌や共感する言葉は話します)

 

するとどんなに感情的になっておられる方でも、20分も話を聞いていれば落ち着いてきます。

 

そうしていると、100のうち98くらい喋っていたのが、80になり、60になり、30になり、やがて会話の中で沈黙が入るようになります。

 

その沈黙が出てきたら、主訴に対しての対応方法をご提案する、という流れをよくやっていました。

 

ここでのポイントは、対応方法を一つではなく「二つ」提案して、顧客に「選んで」もらうというところです。


その二つは、別に似たような提案でも構いません。
ただ、「日取り」であったり「数」であったり「人(私か上司かなど)」であったり、どこかに「選択」ができるポイントを含んだ提案をすること。

 

提案が一つだと、どうしても押しつけになりがちです。

 

これが二つだと「選択肢の中から自分で選んだ」という想いが残るわけで、その後の展開がスムーズにいったように覚えています。

 

いま振り返ってみると、苦情を訴える顧客は心理的に見ると「あなたが悪いんだから何とかしなさいよ」という「依存」の状態にいるわけです。

 

それを、対応方法の決定権を持っている(すなわち「自立」の側である)販売者が、「共感」をすることで自立-依存という関係を崩し、フラットなものにしていく。

 

そして、最後に対応方法を「選択肢」の中から「選ぶ」ということで、「自立」を促す。

 

そんな心理的なプロセスがあるように思います。

 

まあ、今はこうして語っていますが、苦情処理に失敗して上司に出てもらったりしたことや、明らかに悪意のある苦情に長い期間付き合わされたりといったことも、時にはありました。


今となっては、旧き良き思い出です。

 

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さて、いつにもまして前置きが長くなりました。

 

「選択」を迫られると、人はプレッシャーを感じます。


誰しもがそうありたいと望む「自由」とは、「自ら選ぶことができること」と言い換えられるにもかかわらず、人のココロというのは不思議なものです。

 

先ほどの苦情のお話の中でも、こちらから提案すると、「うーん、どうしようか・・・」と悩まれる顧客も多かったです。


やはり、「選ぶ」というのは「自立」して「自由」であるために必要なものにもかかわらず、その場面が来るとプレッシャーや怖れから悩んでしまうわけです。

 

なぜ、そうしたプレッシャーや怖れを感じるのか。

 

一つには、「選択肢」の中に「正解」と「不正解」がある、という思い込みが私たちの中にはあるように思います。

 

これは教育につながる話でもあるのですが、日本で行われるテストや試験では「選択式」のものが多いようです。

回答の選択肢がいくつかあって、その中の一つだけが「正解」で、あとは「不正解」というヤツですね。

 

毎年1月の風物詩のセンター試験や、資格試験の多くがそうですね。

 

私たちはそうしたテストを繰り返していくうちに、「どれかが正解で、他は不正解」という思考や思い込みを身につけてしまって、それを生きる中の他の場面でも応用してしまっているのかもしれません。

 

数式や文法、文中の「これ」が指すもの、歴史や生物学の問題への「正解」は一つかもしれませんが、人生に起きる選択肢の「正解」はそうではありません。


選択肢の全てが「不正解」かもしれませんし、その逆に全て「不正解」かもしれません。

 

今の彼女と別れるかどうか、
この仕事を引き受けるかどうか、
あと一杯だけおかわりするかどうか、

 

といった生きる上での大切な選択肢においては、「正解」も「不正解」もないわけです。

 

こう考えてみると、「じゃあ、選択肢全てが正解だとしたら、自分は何を選ぶのだろうか」と仮定してみると、「怖れ」や「プレッシャー」からではなくて「喜び」から「選ぶ」ことに近づけるのではないでしょうか。

 

そうは言っても、それを選んで「失敗」したらどうしよう・・・とか思いますよね。

 

どちらを選んでも、あなたなら大丈夫です。

 

だって、今までだっていろんな「選択」をしてきたことと思います。


その「選択」の積み重ねが、今のそのステキなあなたを形づくっています。

 

もしも「選択」に「失敗」があるのなら、今のあなたが魅力にあふれていることに説明がつきません。


あなたの選んだことに、「失敗」などありはしないのです。

 

今までも、ずっとそうだったように。
それは、きっとこれからも、ずっと。

 

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

 

不意に訪れた大きな「選択」に惑い悩む、私の大切な友人に寄せて綴らせて頂きました。

 

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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感想戦を黙らせる味 ~東新宿・「炭火割烹 倉乃介 発酵と熟成の幸」さん 訪問記

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。

店主のおおさきです。

 

先日、東京は東新宿の「炭火割烹  倉乃介」さんにお伺いしましたので、その訪問記を。

 

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 「倉乃介」さんは、副都心線大江戸線東新宿駅から歩いて5~10分ほどの場所にあります。

新宿三丁目駅、もしくは新宿駅からだと徒歩15分くらいとのことですが、都心の地理に全く疎い私には、スマートフォンの乗り換え検索とGoogleマップだけが頼りです。

 

というよりも、行きは東急東横線から乗ったのですが、完全に同行した東京の友人頼りでした。

 

私が学生時代に下宿していたころの東横線は、「渋谷行」と「桜木町行」のシンプルなものだったのですが、もう今は相鉄線や都営メトロといった複数の路線が乗り入れして、行き先すらもよくわからなくなっていました。

おそるべし、東京。

 

副都心線東新宿駅のホームから地上に出るまでも、驚きの長さのエスカレーターと階段で登ってようやく地上に出た後は、東に歩いていきます。

 

大通りから一本入ったら、新宿でもこんな住宅街が広がっていることにも驚きです。

 

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道すがらの雰囲気のよさそうな居酒屋、バーの誘惑に負けず、「倉乃介」さんを目指します。

 

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ほどなく、たどりつきました。

行燈の灯りが素敵な入口です。

 

店内に入ると、素敵な着物の女性がお迎えしてくれました。

そしてカウンターでは大将がいい笑顔をされています。

 

この方の料理は美味しそう・・・という雰囲気をすでに醸し出しておられました。

 

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テーブル席に案内されます。

この日の麻雀上りの野郎三人という色気のない面子にはもったいないくらい、素敵なお席。

 

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まずはビールから。

一日おつかれさまでした。

 

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枝豆は「茹で」か「焼き」かどちらにしますか?との問いかけに迷っていたところ、「それじゃ、半分ずつにしましょうか」とお気遣い頂きました。

 

茹で、焼き、どちらも風味が違って楽しい。

これからの料理を期待せずにはいられない一皿。

 

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お造りの盛り合わせ。

奥からマグロ、真鯛アオリイカイワシ

右手の貝は北寄貝とつぶ貝。

 

この「倉乃介」さん、店名にもあるとおり、素材を熟成させることで旨味を引き出すのが売りで、大将がわざわざ席までそれをご説明に来て頂きました。

熟成のお話しをする大将のお顔は本当に楽しそうで、まるで中学生の男の子が月曜日の朝友達に「ドラクエ」の進捗を話しているかのようでした。

 

好きなことをしていると、人はエネルギッシュで若く見える。

 

そんな聞きなれた言葉を実感するような大将の笑顔でお腹いっぱいになりそうになりますが、まずは美味しそうなお造りを頂きます。

 

マグロも、真鯛も、アオリイカも、熟成させるとこんな味になるのか・・・と一同唸るくらいに衝撃を受けました。

 

全く関係ないのですが、将棋と麻雀の共通点が一つありまして、それは「感想戦が楽しすぎる」ということ。

羽生竜王も、藤井七段も、みんな対局が終わると駒を戻して、対局相手とああだった、こうだったと盤面を前にしてその日の一局の感想を語りあいます。

 

麻雀も同じで、今日の対局のタラレバを肴に飲む酒は死ぬほど楽しいものです。

このあたり、競馬も同じですね。

 

ギャンブルの結果にタラレバはないのですが、そのタラレバを肴にして飲む酒は美味しいですね。

というよりも、そちらが本番なのかもしれません。

 

この日、訪れた私を含めた三人は感想戦が楽しみで酒席に来たという面があったのですが、このお造り盛り合わせから、もう「美味い」「やべえ」「おかわり」という単語しか出てこず、めずらしく感想戦は捗らない場となりました。

 

それくらい美味しかった。

 

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 たまらず日本酒にスイッチ。

山形のすっきり「出羽桜」。

わざわざフォトジェニックのために、一升瓶を席に持ってきて頂くホスピタリティに感服いたしました。

 

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珍味盛り合わせ。

左からホタルイカの炙り、カマンベールチーズの味噌漬け、ホヤの塩辛、カニみそ、ホヤの刺身、梅水晶

 

もうできることならこの一皿一皿で、小一時間ずつ酒を舐めて夜を明かしたい。

 

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ホヤの刺身。

臭みがまったくなく、海の香りと塩気にうっとり。

同行した友人も、ホヤに対する概念が変わったと言っていました。

 

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ちょっと変化球?の牛すじ煮を。

丁寧に煮込まれた牛すじは、コクがありながらも重たくなく、箸が止まりません。

 

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干物炙りの中で「真サバ」をお願いしました。

この黄金色に輝く肉厚なサバ。

これだけでご飯と酒の両方を食べて飲みたい。

 

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牡蠣の天ぷら。

こんなに大きな牡蠣を天ぷらで頂くぜいたく。

噛むと中から牡蠣のエキスがあふれ出す瞬間は、三人とも目をぎゅっと閉じて「あぁ・・・」とため息をついていました。

 

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干物炙りをもう一品。穴子です。

山陰から仕入れたと大将は言ってましたが、びっくりするくらい肉厚。

 

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長野の辛口、「大信州」と合わせてみます。

・・・とカッコよく書いてみましたが、私は全然日本酒に詳しくありませんので、次に飲むなら?と大将に選んでもらいました。

何でもできないことや知らないことは、できる人知ってる人に頼むべきですね。

 

さて、〆のごはんは季節の炊き込みご飯をお願いしました。

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この美しいフォルム。

 

「お米を美味しく炊くには?」ということを突き詰めていった結果、この「羽釜型土鍋」に行きついたそうです。

それをまた楽しそうに語る大将がまたいい笑顔をされていて、それだけで酒が飲めそうです。

 

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この日は真鯛とれんこんの炊き込みご飯でした。

 

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もう、ここまでくると何も言うことなく三人でご飯をかきこんでいました。

 

日本に生まれてよかった。 

そんなことを感じる至福のひととき。

 

それにしても、余すことなく発酵と熟成の幸を堪能させて頂きました。

 

美味しかったです。

ごちそうさまでした。

 

さて、帰り道の電車の中、こんなお店が近くにある東京都民の友人が羨ましくて嫉妬を覚えた私は、発酵と熟成の幸と大将の笑顔にまた会いに来ようと思うのでした。

 

 

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旅情に寄せて 〜旅の大きな恩恵2つ

旅は人生を変える、と言われます。


そんな旅情に寄せて、私が思う旅の二つの恩恵に寄せて今日は書いてみたくなりました。

 

一つは、その場で得られる知識と体験の蓄積として。
もう一つは、旅を終えてからの在り方の更新として。

 

ちょうど今触っている私のiphoneにもiOS11.4のアップデートの通知が来たように、後者はスマートフォンのOSの更新のようなものなのかもしれません。

 

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以前に聞いた言葉ですと、「人生の豊かさは、移動距離の二乗に比例する」というものがあります。

 

なぜ二乗なのかはは分かりませんが、確かにそうだな、と思うのです。

 

手帳を振り返ってみると、私も今年に入って家族でもおひとりさまでも大切な友人とでも、たくさんの旅をしてきました。

 

旅先で会いたい人に会えたり、、そこでしか見られない景色が見られたり、そこでしか味わえない肴と酒を楽しめたり、そして何よりもその土地の空気、雰囲気、エネルギーといったものに触れることができた経験は、人生を豊かにして私たちを幸せにしてくれるようです。

 

私が思うに、旅の恩恵は二つあると思うのですね。

 

一つは、もちろん先ほど挙げたような旅先での知識と経験。


何でもそうなのですが、直接的な知覚により経験に勝るものはありません。

 

会いたい人に直接会って、その人の雰囲気を感じる。
行きたい場所に直接行って、その場の景色、匂い、音、風の感触を感じる。
その場所でしかできない経験をする。
旅先での美味しい食べ物を味わう。

 

これらの経験は、私たちの人生を豊かにしてくれます。

 

例えば私はグランドキャニオンに行ったことはないのですが、あの絶景を直接見たことがある人は、とても豊かな経験と記憶になっていることでしょう。

 

知識と経験を重ねる、ということは私たちを自由にしてくれます。

 

「これしかない」という窮屈な観念ではなく、「9月って残暑厳しいっていうけど、軽井沢は だったら天然クーラーのように快適だよね」というように。

 

それはやはり机上で得たものよりも、実際に肌で感じたものの方が記憶として知識として残っていくものだと思います。

 

そして、もう一つの恩恵は、旅先から帰ってきたときにもたらされるものです。


それは、あるときに「ふと」何かが変わるのです。

 

旅先から帰ってきた後には、何か「気づき」がふとした瞬間に出てくるように思います。

 

旅に出る前の自分なら、そんなこと思わなかったようなことを、ふと思いついたりするのです。

何か、自分の中のOSがアップデートされるような。

 

よくあるのが、帰りの電車や車の中で、ぼーっっとしながら考えていたまとまりのないことが、帰って来てから少し経ったある日ふっとパズルが埋まっていくように「あ、あれはこういうことだったのかな」とスッキリしたりします。

 

ちょっと感覚的な話になるのですが、不思議なのです。

 

もしかしたら、旅にでなくても気づいたのかもしれませんし、それは分かりません。

 

けれど、そういった機会が何度かあったので、今日は綴ってみようと思った次第です。

 

「旅に出る」というのは「自分への最高の投資の一つ」のように思えますので、その「投資のリターン」を受け取っているようにも思えます。

 

自分の行きたい場所に、お金と時間という膨大なコストをかけて行く。
もうそれだけで、自分に最高に与えているわけです。

 

そう考えると、おそらくその「在り方のアップデート」は、「旅に出る」と自分が決めた瞬間から始まっているような気がします。


もうその瞬間から、自分にお金と時間をかけて「与える」ことを決めているわけですから。

 

ということで、旅情に寄せて旅の恩恵を綴っているうちに、またこれからも旅に出ることで、大切な自分に与え続けたいと思う店主でした。

 

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この旅について綴りながらふと思ったのですが、「旅をすると人生が豊かになる」ということは確かに事実としてあると思うのですが、だからといって「旅をしないと人生は豊かになれない」というわけではないと思うのです。

 

これはちょっとおもしろそうなテーマですが今日の旅のお話とは離れますので、また別の日に綴らせて頂こうと思います。


それでは、今日もお越し頂きましてありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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そういえば、ここのところ超絶「雨男」だったと気付いた件

今年初めての台風が北上してきたようですが、心配されたほどの大雨にはならずに通過していきました。


ただ当店の周りも梅雨時期らしく、ぐずついた天気が続いています。

 

分厚い雲に覆われた梅雨空を見上げていると、ふと先月から出かける際にはずっと雨が降っていたことを思い出しました。

 

ゴールデンウィークの東京も少しぐずついていましたし、

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その翌週の千葉県のお馬さんではない方の夢の国では大雨注意報でしたし、 

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宮津の田植えでも雨に打たれました。

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そして、先週末の東京でも雨が降っていました。 

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梅雨入りする前から、結構な確率で雨の日に当たっているな、と。


間違いなく、ここのところの私はよく言われるところの「雨男」だったようです。

 

しかし、よくよく考えてみると、「晴れ男」「雨男」というその分類は以前に流行った「マーフィーの法則」と同じ、記憶の選別とでも呼ぶべきもののように思えます。

 

「洗車をし始めたとたんに、雨が降ってきた」
という印象的な記憶のみを選別して保存しているため、「洗車をし始めると、雨が降る」と記憶してしまうように。

 

実際にはその何倍もの回数、洗車をし始めても雨が降らなかったことがあったにもかかわらず、です。

 

とっても楽しみにしていた遠足やデートが土砂降りの雨でがっかりした、という経験からの記憶だけを後生大事に持っていることで「自分は雨男だ」と思い込んでしまうように。

 

人の記憶ほど頼りにならないものもありません。

 

それまでその何千何万倍も愛を与えてもらっていたのにもかかわらず、たった一度自分の思い通りの愛を与えられなかったことで、「私は愛されていない」、「私は愛される価値がないんだ」と思い込んでしまったり。

 

それを拗らせると、よくここでお話しする「思い込み」「ブロック」「観念」「ビリーフ」といった、私たちの世界の見方に大きく影響を及ぼすものになっていくこともあるのでしょう。

 

「晴れ男」「雨男」の分類でいくと、私は以前は「晴れ男」だと思っていました。


いや、「雨男は何となくネガティブな感じがするし、周りから嫌われそうでイヤだから、自分は晴れ男じゃないといけない」と思い込んでいたのかもしれません。

 

それも今となっては、どちらでもいいように思います。

 

晴れの日には、晴れの恩恵を。
雨の日には、雨の恩恵を。

 

それを探すようになると「晴れ男」でも「雨男」でも、どちらでもよくなってきますね。

 

さて、せっかくの梅雨時期です。
雨の恩恵を探してみましょう。

 

 雨に濡れる景色が見られる。
 街でステキな柄の傘を見かけることがある。
 いろんなものを洗い流してくれる。浄化。
 田植えがされた田んぼに水が行きわたる。
 しとしとと降る雨音が聴ける。

 

他にもいろいろありそうですね。
も「これは!」というものがありましたら、ぜひお教えください。


今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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